|
カテゴリ:人生 生活
NHK「こころの時代」から。 ベラルーシ ウクライナの国境の近くで生まれている。 チェルノブイリが近い。妹はチェルノブイリ事故の放射能で亡くなる。 「チェルノブイリの祈り」を出版している。 その本には、チェルノブイリを離れることができない老齢の人の話がとても悲しい現実で描かれている。または、死に至るほど放射能を浴びることで死を間近に、そのことを書いてほしいと願う男性。どれも「小さき声」であり「小さな声」ほど大切なものはないと考える人。
福島もそのようで変わらない。「小さき人々の声がある。」 福島県の小高市は 原発事故20キロにある。 立ち退きから戻って来た人は住民の1割。 ある小高市に帰って来た魚屋。 避難解除の3日後に魚屋を始める。 「儲けよりも小高に帰ってきたいという気持ちが大きい。」 「ここは故郷です。ここを離れることはできない」その言葉が印象的。 チェルノブイリは全てコンクリートに覆われてしまって、一人一人の言葉もコンクリートに覆われてしまっている。福島も同じだという。
とある酪農家では、 牛乳が放射能に汚染されていた。 放射能に牛が侵されている。殺傷処分を言い渡される。 相馬市は、国から言い渡される放射能とは実際には違った数値が出ている。 研究者と同じ放射線測定器を購入して調べている。 国家は騙していると言ってチェルノブイリにまで行って生活しいている人と話した。 その酪農家は、国から放射能の数値から騙されてる活動をしている。 「我々はこの相馬市から離れないが、子供孫たちはここには来させられない」と言っている。
また、自殺した酪農家。地震の前に多額の借金があった。 「原発さえなければ」と落書きが書いてあった。 被災地では生きる希望がなくなった人の自殺が続いた。
102歳。避難しなさいと言われた次の日に、命をたった。生きているすべてを離れる事ができなかったのかも・・・と。「102歳まで生きて来たのになんで・・・」とお嫁さんが考える。 周りからは、お義父さんが自殺に追い込まれたと思い東京電力を訴えた。なぜ訴えるのかと周りに言われるがお父さんの気持ちを考えると行動取るしかないと思った。これも小さき声の人。そして周りから、非難されていることにスベトラーナ・アレクシェービッチさんは驚いていた。「闘う」という原則がないということ。 非難する人は、ただ良いリーダーが来るのを待っているだけだという。 自らのどうすることもしないのも嘆いてしまう。
「人間であり続けることは」例え、自分一人になっても行動をとっていくこと。
ロシアは、ペレストロイカがあって「自由!自由!」と言って街を歩き回ったところで誰一人自由ということの本質は知らなかった。
2016年来日福島県の放射能 小さき人々の声こそ人間の大切な事があるのではないか。 英雄の話・独裁者の話・綺麗な女優の話などではなく 時代の悲劇はそういう悲しい話が捨て去られてしまう。 少人記録文学を自ら打ち出した。ドキュメンタリー文学。 ノーベル文学賞を受賞している。
この「小さな声」は届きますでしょうか。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/12/06 03:39:13 PM
コメント(0) | コメントを書く
[人生 生活] カテゴリの最新記事
|
|