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2020年08月11日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
本日のブログは私事ですみません。


「もう暗くなるからそろそろ家に帰った方が良いんじゃない?次はいつ会えるかな?住所を教えて?」

なんて最近ばあちゃんが言うんだよ。

うちの母はアルツハイマーが進み、最近の言動は少女のようになってきた。

そんな母のことを父は、少しさみしそうに、また、少女の様になった母の言葉を少し恥ずかしそうに言う。

一人ではどこを歩いているのか分からなくなる母は

いつも父と一緒に散歩や買い物に行く。


散歩中、母は父の腕に手を回し、

二人でゆっくりとしたペースで歩く。

途中小さな子を見ると

「あら可愛い子!良い子ね~。」

と声をかけずにいられない母を

父はいつもそばでニコニコ見守っている。


父は常に家族や他人を優先する。

自分ことは置いておいて


まず、他の人のために行動する。

声を荒げることも殆ど無く、「優しい」と誰からも言われる人だ。


工業高校を卒業し、川崎の鹿島田の近くにある鉄工所で働き出した父は

18歳からそろばん教室を自分で開いていた母とお見合いで出会った。


その後そろばんは全盛期をむかえ、川崎区の自宅と幸区の河原町団地の近くに2教室を展開し、

生徒は400人を越えた。

さすがに母1人では回しきれず、父は自分の勤めを辞め母の仕事を手伝いだした。

それまでも勤めが終わってから、そろばんの仕事を手伝うことはあったが

とうとう片手間では無理な人数となってきたからだ。

長年勤め、仲の良い同僚も多くいた父だが、

もともと身体があまり強くない母のことを思い

仕事を辞めることにしたようだ。


昭和11年生まれの男性にしは、父は良く家事をやった。

もともと家事があまり得意でなかった母の代わりに

掃除洗濯炊事と子供から見ても良くやっていた。


私や4つ下の弟が小さいときには、

海や山、スキーなどマメに連れて行ってくれた。

それこそ仕事仕事で忙しいから日曜日は休みたいだろうに

子供の希望を優先させていた。


人から頼まれるとノーと言えないタチなので

60歳過ぎてもゆっくりすることはなく町内の役員や民生委員もやり、

日曜祭日も年中何かしら動き回っていた。

日曜日ぐらいゆっくりすれば良いのに、、、私はそんなふうに思うこともあった。


私に3人、弟に2人の子が生まれ

じーちゃんとなった私の父は

みんなから「ジージ」と呼ばれ出した。

ちなみに母は「オババ」。

孫の運動会、体育祭、文化祭など

毎回大きな望遠レンズをつけたNikonを持って駆けつけた。

若い頃からカメラにはまった父は

家に現像室を作るほどだった。

赤い光の暗い部屋の中で、酸っぱい臭いが充満した現像室。

現像液にゆらゆらと浸すと

真っ白だった用紙の上に

徐々にハッキリとモノクロの写真が浮き出てくる。

そんな秘密の部屋のような現像室は、子供心をくすぐった。


小さい頃から空手をやりたかった私が、子供と一緒に空手道場に通い出すと

ジージも孫の様子を見にきた。


いつの間にか白い胴着に身を包み

当時70歳のジージはフルコン空手(実際に殴ったりける空手)を始めだした。

フルコン空手では心臓付近を強打したり

頭部へのけりは当たり前なので、

70歳の父も入門すると言い出したときには

正直「死」を連想したほどだ。


真面目なジージは、

孫がやめ、私もやめ、それでも1人稽古に出続け

先生方のご厚意もあり、ついには黒帯を頂いた!

フルコンの黒帯をこの年齢で、、、。


80歳を越えても

バイクを乗り回し

Audiクアトロで母と出かける。

私からみてもイカしたじーちゃんだった。


そんな父が

2020年8月10日

20時58分

84歳で

他界しました。


8月10日の昼間までみんなとLineでやりとりしていたんですが

夜になり急変しました。

間質性肺炎が病名でした。


本人の病状とは全く関係ないのですが

このコロナの影響で、

今は面会も自由にできず

父は独りで逝きました。

やさしくいつもみんなのことを思ってくれていた父の最後を

看取ってあげられなかったことが心残りです。

最後まで気を遣って迷惑かけないように

お盆休みに逝った父。



父さん

母さんのことは大丈夫

みんなで面倒見るからね。

今まで本当にありがとう。

あなたの優しさは

いつまでも忘れない。


さようなら、父さん。





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最終更新日  2020年08月11日 01時24分47秒



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