カテゴリ:葬儀
葬儀屋として、好きじゃない宗派が、ある。
清め塩NG、 お清めって言葉自体NG、 一膳飯や団子NG、 旅支度NG、 位牌NG、 線香立てるのNG、「御霊前」NG 陰膳NG、 焼香する時は額にいただかずに1回、ないし2回、 木魚使わない、 坊主は頭丸めない(んだからふっさふささ。茶髪の住職までいるよ)、 弔電披露NG、 収骨の時合い挟み(箸渡し)NG、 精進落としNG、 献杯NG そんな宗派が、まぢで、ある。 結構、メジャーな宗派だ。 葬儀が5件あれば1件や2件は必ずそれ、ってくらい。(あくまで東京のハナシね。地域によっては全部が全部浄土真宗ってとこだってある。) だから、困る。 はっきり言って、日本人が何となく持っている、葬儀のイメージと、真っ向から対立するのだ。 あなたのお家の宗派は、何ですかと聞かれて、即答出来る人はそんなにいない。 周りの年寄りに聞いて回って、ようやっと覚えたての単語を口にしてみる。 「浄土真宗です」と。 やれやれ。 あー、浄土真宗ですねぇ、一応ご飯もお団子も必要無いって宗派なのでー。 「ええええ?!それどういう事ですか?!」 いやだからぁ。 即身成仏(そくしんじょうぶつ)といいまして、亡くなった方は速攻で阿弥陀如来のいる西方浄土に行って仏になると言われてる宗派なものですからー、いわゆる死後の旅とかしないって言われてるんで、ご飯や団子はつまり旅のお弁当なので、旅もしないから、お弁当もいらないでしょうとまぁこういうハナシなんですけどー。 「でもおじいちゃんの時はご飯とお団子用意した。」 あーそーですかじゃあ持って来れば良いですよ。 お清めのお塩もですね、必要無いって言われてる宗派でして。 「ええええええ?!そんなの聞いた事無い」 えーと、清め塩というのはですねぇ、元々神道から始まった文化でして、黄泉の国から戻って来たイザナギのミコトが海で穢れを払った故事にならってるわけで、いちいち海に入るわけにいかないので塩かけて代用しようってとこから始まってるので、なんで仏教で塩使うかというと、6世紀に日本に入って来た時に、少しでも日本の文化に合わせようと習俗を取り入れたのが元々のところらしいので、インド起源で中国経由の仏教では本来全然関係無いハナシで、しかも、この清め塩てのは、つまり、死者=故人を穢れと見なす思想だなんて真宗では反論してて、生きてる間一緒に暮らしていた家族を、死んだ途端穢れとして払おうとはどういうこったとか逆ギレして見せたりもしてるし、あぁでも理由は知らずとも塩を使いたいあなたの気持ちは良くわかります、わかりますけど、こっちの理屈も、わかってください。 ああ、 ちなみに浄土真宗はお線香立てずに横に寝かせるんです。 「えええええ?!今までそんなことしたことない」 あー、そーでしょーねー。 線香立てるとか、箸立てるとか、位牌とかって、思想としては全て一緒で、依り代(目印)なんですよ。神道起源です。 浮遊している魂(もしくは神)にわかるように、少しでも高いところを作ってこっちだよーって、ふらふらしちゃだめよーって、教えてあげたいのが起源としてあるんですね。 で、浄土真宗は、魂は浮遊しない、旅もしない、だから目印も必要無い、ってことで。 宗教の中でも、新興宗教にあたる団体ほど、自分たちの正統性を主張するために、原理主義に走る傾向がある。 仏教の本義に立ち返るってやつ? 教義にバカみたいに従おうとするんだ。 元々国産じゃない仏教は、土地に根付くために様々な工夫と努力と変容を遂げてきた。 原理主義が出てくる原因には、大本の宗教団体の、腐敗がある。 皆、それぞれの事情と拠り所があって。 わからない、わけじゃない。 でも、葬儀の当事者は、それどころじゃないことがほとんどで。 個々の仏閣はともかく、流行り神としての仏教の寿命は、もう尽きているのではないかなどと、ふと思ったり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年06月22日 15時47分27秒
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