カテゴリ:本
今は亡き十八代目勘三郎襲名前後の活躍を、プロの文筆家の文で描写したもの。
ニューヨークの中村座公演の時、高名な演劇学校の副学長ジェームズ・リプトンが楽屋に来て大絶賛の末、持っていたバッグをくれた話、 同じ話を何度か勘三郎の語りで読んだことがあるが、感動がまるで違う。さすがプロ。劇作家の野田秀樹が「勘三郎は話が下手」と言っていたが、本当かもしれない(笑)。 先代の勘三郎が、芸妓との間に生まれた妾腹の子であった話。勘三郎の父、三代歌六には正妻との間に既に二人の男の子がいた。 年の離れた長兄の吉右衛門は勘三郎を可愛がったが、世間の風当たりと蔑みは強かった。 病に倒れた歌六と引き離された二人が隅田川べりを歩きながら「一緒に死のうか」と言われ、必死にお母さんの手を握って「いやだ死にたくない」と心中を思いとどまらせたという。 先代勘三郎が人工肛門だったという話も、初めて聞いた。楽屋に個別風呂をつけるようになったのはここからだという。 酔っぱらって夜中の三時に訪問しても、「どうした、入りなさい」と迎え入れてくれる団十郎の話。 芝居の中で、殺しちゃいけない人を切り捨ててしまい、しかもその人の出番がまだ残っていたから、額に三角の白い布をつけさせて無理矢理芝居を続けるはめになった、市川左団次の話。 何してくれちゃってるんですか、あんた。
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最終更新日
2015年06月09日 09時40分28秒
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