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倒れる時には、前のめり

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August 8, 2006
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カテゴリ:日記
これまでのあらすじ

松子は広島から遠く鹿児島へ19才と若くして嫁入りをする。
広島での生活と違い、不自由なく過ごし、
主人・両親が優しくしてくれていた。

しかし、戦時中のこと主人に召集令状が。
わずかな結婚生活の時に別れを・・・・。
 
出征列車を松子は泣きながら見送る。

***************


別れのあと

ご主人の出征を見送ったその晩、松子はご主人の両親に部屋へ呼ばれた。

「松子さん、おいどんらはおまんが嫁入りしてくれていい夢見させてもろた」

「しかし、松子さんはまだまだ若い。
 こんな事もあろうかとおまんの籍を入れてはおらんかった。」

「明日、広島に帰るがええ。おいどんらは寂しいがしかたない。」
「息子との結婚のことは、もう忘れてくれてもええ」


その言葉を聞いた瞬間何が何だかわからなくなり、
一瞬両親を恨めしく思いもしたが、
両親の優しさに気づき、我に返り泣く泣く承諾した。

「お父さんお母さん 本当にいいんですか?
 でも、お気持ちをありがたく受け取ります。今までありがとうございました。」


その晩の内に松子の帰りに荷物を両親がまとめてくれ、
次の日帰りの切符を松子に渡すと、駅まで見送ってくれた。

「お父さんお母さんのことは一生忘れません。ありがとう。」
そうして短い夫婦生活は本当に終わり、
松子は広島へと帰郷したのであった。


過酷な運命

薩摩での生活を30日間で終え、広島に帰った松子だが、
驚いたのは広島の家族であった。

「お姉ちゃん、どうしたん??もう帰ってきたん」
志津(私の母)は、まだ6才。
母親代わりの姉が突然いなくなって、寂しくしていたところ
急に帰ってきたのだから、うれしくて仕方なく
松子の腕をひっぱっては、ぶらさがったそうだ。

しかし、松子の父だけは、ただ笑って出迎えてくれたのであった。
松子の父はどうやら事の成り行きをご主人の親と連絡を取っていたらしく、
一部始終を知っていたようだ。

半年後、薩摩の親より彼の乗った船が
南方の海にて撃沈されたとの便りがあった。

松子・両親の写真を持っていたはずだから
船倉で写真を眺めては望郷に念を募らせていたはず。

しかし、悲しいかな戦時中ゆえに輸送船の撃沈。
知らせを受けた叔母は、薩摩へと向かったが
遺骨はなく、手元にあるのは名字の印鑑だったそうだ。






そうして、何ヶ月か経った あつい夏の日
松子は、広島市大洲町の実家。

広島駅へ仕事に行くため玄関に腰掛けていたところ。
まばゆいばかりの閃光と共に、襲ってきた爆風。
なんと、家の屋根だけが吹き飛んだ。

昭和20年8月6日 8:15 広島市上空にて原子爆弾炸裂。

振り返ると吹き飛んだ屋根から見える
白く立ち上るキノコ雲の中に。

「あの人の所へ行ける」と感じた。

しかし、叔母はご主人の分まで生きたいとの思いからか
様々な困難に打ち勝ち今日まで生きてきたのでした。

そして、今  思い出して想ふ
                           





後記

この話を うつむき加減に 話してくれた叔母、
はにかむような顔は 何だか19才に戻っていたようでした。



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 皆さんも ご親戚の方の お話を聞いてあげてみてください。
 そこには素晴らしい人生があると思います。


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Last updated  August 13, 2006 10:48:40 PM
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