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正しさは必ず自己矛盾に陥るからである。 たとえば「自殺幇助」である。 もう生きる希望を捨てた人に殺してくれといわれ、その願望のやむをえない事情を 知り、合意のうえで首を絞めてやるという事は「正しい」ことであろうか。 あるいは意識もうろうにある人を薬で生きながらえさせて、不当な費用を負担させ、 家族に医療努力の粋をみせつける事が「正しい」ことであろうか。 ことは死に追いつめられた人の本意ではなく死へおもむかせた人の本意である。 かれは何を求めて実行したのか。 「自殺を望む人への同情と救いの気持ち」か。 「法の理不尽と一個の人生のけなげさ」への非難か。 いま多くの介護の現実場面で行われている法と倫理の乖離の問題である。 いあわせた人は逡巡する。一刻をあらそい、ひとの生死を処置しなければならない。 かれに医学の詐術や倫理規定などは知るよしもない。ただ懇願する、追いつめられ、 死を願う弱いひとが目前にいるばかりである。 これは法廷で論理だてて、順序正しく説明できるような場面ではない。 まして猶予をとってあらゆる手段、アドバイスを探るという場面でもない。 かれは自分の最善の納得できる手段を行使しなければならない。 それは多くの善意にみちた第三者にとって「正しくない」行使であるかも知れない。 だがかれは死にむかうひとの「ありがとう」という謝辞にのみ「正しさ」の保証を 見出す。それは誰も容喙できぬ事柄である。法といえども。 法に遵って、日々巧妙な死を演出している医療機関の正しさに比べてこれは格の違う 正しさである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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