内在神と外在神の区別は無意味です。
スピ系のブログランキングで常にトップのあるブログ。内在神のみを信仰し、外在神を否定的に書いていますが、全く無意味。神道において、密教において、陰陽道において、全く無意味な考え方です。人は神の分御霊として精神に神、神我を宿します。またそれ以外にも、多くの神々が存在して、目に見えない働きをしています。厳しい修行により、あらゆる正神を、その身に降臨させられるようになれば、内在神、外在神の区別はまるで無意味となります。降臨し、己と一体となった神々と意識を共有し、その力も正しく行使できます。あるブログの管理人の神とは、スサノオの眷属神だそうですが、スサノオ自体が外在神、いわゆる八百万の神たちの一柱です。その眷属神ですから、当然、神格はスサノオよりも低いものとなります。常に生活の中に神々が存在する、”かんながら”という考えの日本人にとっては外在神も常にともにあるのです。最新の記事では神職の、烏帽子について霊的な視点から語っていますが、これは実際に神職の私が霊的に見ると間違った見解と言えます。衣冠束帯の狩衣についても語っていますが、これも疑問が残ります。正式な上級神職から言わせると、伊勢白○道さんの語る神道は、ほとんどが疑問が残ります。また伊勢白山道式と自称していますが、これは古神道の一流派とほぼ同じです。ただ残念ながら、現在の神社庁に属する流派ではないので、一般的には表面に出てきませんが、神社庁に管轄されない神道流派での修行経験があると伊勢白山道式が、いかに猿真似であるかが解かります。短冊と線香の三本供養で対処できるのは、霊障であれば、極めて軽症な場合のみです。これだけでは対処出来ない証拠に、祓い・調伏という神事が、連綿と太古より受け継がれています。