密教の阿字観(あじかん)
阿字観(あじかん)とは密教の瞑想法の一つで、瞑想により世界と自分はひとつである事を認識するものです。阿字観とは梵時の阿字の中に我あり、我の中に阿字ありと言う観点から瞑想を行う修行です。 阿字は本不生の意味を持ち、他者の生み出したものではなく、また、自己によって生み出されたものでもなく、時間・空間を超越した存在を表す梵字です。密教は他の宗教に比べ、修行者、術者の精神的実践を必要とする瞑想学の一面も併せ持ちます。心理学のユングは密教の瞑想について「東洋的瞑想の心理学」・「黄金の華の秘密」で解説しています。また、アーノルド・トゥインビーに至っては「西洋の精神文明の危機を救うには東洋の瞑想以外に無い」とまで言わしめています。西洋における直情的な修行法と異なり、密教の阿字観、瞑想方は精神面の初歩から高位な段階に達するまでが体系づけられています。阿字観の修行によってもっとも顕著なのが精神力によって虚空に阿字や月輪を描く強力な精神集中力です。 瞑想法の修行の成果として頭脳、精神が覚醒する為、様々な、ある種の超能力ともいえる鋭敏な感覚も備わります。西洋と同じように物質主義に依存し生きる、現代日本人の精神的退廃、精神的枯渇など精神(魂)の低レベル化を修正するのも自己を正しく分析、認識しさらなる精神の向上を目指す東洋的瞑想の実践にあると思います。密教の瞑想法は、昨今のスピリチュアルブームに有りがちな、自己催眠、自己暗示のような思い込みではなく、実体験として実感できます。梵字を使用した瞑想を行った場合、強力な精神集中により梵字が象徴する神仏が成功した場合には湧き上がって来ます。他のイメージが現れたり、精神集中が出来ない場合は失敗となり、この修練により術者は瞬時に強力な精神集中を行う事が出来ます。上記のように、主観的判断が可能な瞑想である為、自己の精神、意識の変化・向上を客観的に活かせる点が、神々など超越的な存在、エネルギーからの影響を受容的に待つ、他の宗教、思想と密教の分析的瞑想の違いです。