漂流
人生には悲しい影があるものだが、
感傷が酔いのようにまわる一瞬は幸せである。
たとえば、僕等はいま、無人島に流れついたとする。
渚に寄せてくる波の上で目覚めた君が、
消え入るようにかすかではあるが、必ず、
生存の可能性を嗅ぎ取った瞬間、かすかに、遠慮勝ちに、
泣きそうになりながら、こう思うはずなのである。
何としてでも生きてやる。必ず生きて帰ってやる、と。
その涙と一緒に突き上がってくる呼吸のさなかに、
君は馬鹿なことを考えるかも知れない。
どうせなら初恋の女性と一緒に流れつきたかったとか、
はたまた、家に帰ったら、他愛もないことであるが、
好きなものをたらふく食べてやるぜ、とか思うだろう。
君は自然にそう思っている自分を想像できるだろう。
何故なら、それは生きる生命線だからである。
だが、そういう経験のある僕から言わせてもらえれば、
それは大抵、嘘である。それは、背後にまったく別の危険を、
つまり、現実として問題にできない、処理しきれないことが、
あるがためにそのようなことを考えているにすぎない。
前述したようにだが、それは、感傷である。
音が弱まり、夢想が消え去ったとき、
僕はそこに一つの詩が残ると思う。残酷なようだが、
詩とはつまるところ、そういうものである。
原画サイズ/特大サイズ
詩とArt_Works:
塚元寛一さん &KAMOME_STUDIO
画像素材: イラa。写a