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番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

「不老の旅〜21世紀人間は仙人になれる?!」

◎『不老の旅〜21世紀 人間は仙人になれる?!〜』

制作:STSサガテレビ  放送:2002年2月2日

長生きしたい。いつまでも元気でいたい。
それは誰もが願うことではないでしょうか?

今、世界各地で『不老』、老いないことに関する研究が行われています。そして、世界の中でも日本は有数のレベルにあります。

この番組は、男の子と不思議な老人とが、不老研究の最先端を訪ね、長生きをするということの意味を考える、という形をとりながら進行します。


◆ストーリー概略

昼下がりの公園

 男の子ふたりがサッカーボールを蹴って遊んでいる。
 近くのベンチに腰をかけ、男の子たちの様子を懐かしげに見つめている老人。
 どこか浮世離れした風情だが、怪しげな感じはない。

 老人の足もとに飛んでくるサッカーボール。拾い上げる老人。
 駆け寄る男の子(悠太/10歳)。
 立ち上がってサッカーボールを渡そうとする老人、よろける。
 手を貸し、気づかう悠太。

  悠太「おじいさん、だいじょうぶ?」
  老人「だいじょうぶ、だいじょうぶ。歳をとると足腰が弱る。
     誰でも同じだ。今は元気な君もな」
  悠太「僕も?」
  老人「そうだ」
  悠太「いやだぁ」
  老人「年をとるのはいやかい?」
  悠太「いやだよ、いやに決まってるじゃん」
  老人「そうかい。そうだな、
     昔からみんなそう思ってきたんだもんな」

 老人、急にしゃきっとして、サッカーボールを地に置き、蹴る。
 フッと目で追う悠太。
 その瞬間、「不老の旅」へふたりは旅立つ。


万里の長城

 サッカーボールが転がってくる。
 ボールを追って手にした悠太、周囲の景観(万里の長城)に気づく。
  悠太「ここはどこ?」
  老人「ここは中国。万里の長城だ」
  悠太「でっかいね!」
  老人「そう。これは月からも見えるんだ」
  悠太「月からも? すごいや」
  老人「でもな、こんな大きなモノを作った皇帝でも、
     たったひとつだけ、手に入れることが出来ないモノがあったんだ」
  悠太「なに、それ?」
  老人「それはな、『永遠の命』だよ」


中国を初めて統一した秦の始皇帝。怖いものなしのこの皇帝にも不安はありました。
『人は必ず死ぬ』という、何ものも避けられない運命です。

   「仙人は不老不死の霊薬を持っているという。
   その薬を手に入れたいものだ」

そんな始皇帝に「不老不死の霊薬を探し出します」と申し出たのが徐福。
始皇帝は大喜び。言われるがままに、金も船も与え、徐福は3000人もの幼い子供たちを従えて東方へ旅立ちます。このことは『史記』にも詳しく書いてあります。
しかし、徐福はそのまま帰っては来ませんでした。

1997(H9)年、徐福も驚くニュースが世界をかけめぐりました。老化を抑える遺伝子が発見されたのです。その名は「クロトー」。クロトーとはギリシア神話に登場する女神。生命の誕生に立ち会い、生命の糸を紡ぎます。
クロトー遺伝子。それは若返りへの夢の扉を、今、また私たちに開いてくれるのです


  老人「始皇帝は早く生まれすぎた。
     惜しいことをしたな」
  悠太「でも、としをとらないって、ほんとかなぁ」
  老人「人間の智恵は大したもんだ。今もいろんな研究が続けられてる。
     ちょっと覗いてみるか?」
  悠太「うん!」
  老人「よし、行こう!」

 老人、ボールを蹴る。

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 サッカーボールを手にした悠太と老人、歩いてくる。
 周囲は暗い。

  悠太「真っ暗だね」
  老人「おい、後ろを見てみろ」

 振り返る悠太。2枚の大きな写真が掲げられている。
 一枚は少女の、もう一枚は老女の写真である。

  悠太「わ、びっくりした! 女の人の写真だね」
  老人「どっちも同じ人だ。
     左の写真はいくつくらいの頃だと思う?」
  悠太「うちのおねぇちゃんくらいかなぁ、14歳!」
  老人「惜しい、16歳の時だ。じゃ、右側は?」
  悠太「う〜ん、70歳くらいかなぁ」
  老人「はずれ。ま40代の時の写真だ」
  悠太「え、うそぉ! だって、おばあちゃんじゃん」
  老人「だな、確かにおばあさんに見える。
     この人は、どんどん歳をとっていく病気に
     かかってしまったんだ」


普通の人の何倍もの速さで老いていく病気があります。ウェルナー症候群もそのひとつ。長い間、その原因はわかりませんでした。
しかし、日本の研究所が、早く老化していく原因が遺伝子にあることを突きとめました。
私たちの細胞を守ってくれる大切な酵素のひとつに「ヘリカーゼ」があります。ウェルナー症候群の患者の遺伝子は、その「ヘリカーゼ」を作ることができないのです。

たったひとつの遺伝子が原因で若くして老化してしまう病気。さまざまな原因で私たちは老いていきます。現代科学は、その謎を今、解明しようとしています。

ある科学者は、体長一ミリの線虫を使い、老化のメカニズムと「活性酸素」との関係を追究しています。


  悠太「ちょっと待って!
     『かっせいさんそ』ってなに?わかんないよ」
  老人「待て待て、ちゃんと用意してある」

 紙芝居道具を持ち出す老人。
 その前に座る悠太。

  老人「(声の調子を変えて)さて、人間はいつも息をしております。
     酸素がなければ生きていけないのであります。
     ご存じかな?」

 うなづく悠太。

  老人「まさに酸素は私たち生き物の命の源なのであります。
     私たちに様々な恵みを与えてくれる酸素。
     ところが、体の中で働いたあと、ギャングに変身する
     困ったヤツがおるんですな。かように暴れ回り、体の中、
     あちらこちらを傷つける。
     そしてついには歳をとらせてしまうギャング。
     それが『活性酸素』なのであります。おわかりかな?」
  悠太「うん!」


線虫の寿命は三週間。その間に人間の老化と同じような症状を起こします。
放射能によって突然変異し、二倍の寿命を持つようになった線虫と、普通の線虫を純度の高い酸素の中に置いてみました。
すると、普通の線虫はすぐに死んでしまいますが、長寿命となった線虫はピンピンしています。長寿命線虫は活性酸素の暴走を防ぐ、何らかの能力を持っていると考えられるのです。

活性酸素に強い長寿命線虫の体内では、「スーパーオキシドジムスターゼ/SOD」と呼ばれる物質がたくさん作られています。
SODは活性酸素の働きを抑える酵素です。
酸素が体の中でギャングに変身したもの。それが活性酸素。その暴れ回るギャングを取り締まる警察官。それがSODなのです

アメリカは日本以上に健康ブーム。街角のドラッグストアでは、活性酸素を抑えるSODの名前をつけたサプリメント、補助食品が人気を集めています。
実はサプリメントとしてのSODの効果はまだ証明されていません。で_焉u老いない」という夢をいだかせます。

酸素が危険な物質に姿を変えた活性酸素。その活性酸素に関するおもしろい実験がアメリカで行われています。カロリーをコントロールすることで老化を抑えようというのです。

サルに与えるカロリーをコントロールし、その発育と老化の様子を比較・研究します。すると、食事を30%から40%、制限されたサルの方が、普通に食べ続けたサルよりも老化の症状が現れるのが遅いのです。
この研究を応用し、「脳にカロリー制限をしていると思わせる薬」の開発が急がれています。

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長い間、「人生五〇年」といわれてきました。でも、歴史に名を残した人の中にも長寿の人はいます。中でも徳川家康は特に有名です。家康は健康に人一倍気を使い、自分の薬は家康自ら調合するほどでした。
家康が愛用した「烏犀円(うさいえん)」という薬は、その効き目から全国に広まりました。その「烏犀円」、今でも石川県と佐賀県に残っています。

中国の宋の時代に書かれた『恵民和剤局方』という薬剤書に「烏犀円」の作り方が記されています。原料は五黄や朝鮮人参など13種類の生薬。それを微妙に調合して作られているのです。

人々は昔から若さを保つためにたゆまぬ努力を重ねてきました。でも、若さを保つ秘けつが身近なところにあることがわかってきました。
それは、活性酸素を除く働きをするもの、ビタミンE、ビタミンC、カテキン、ポリフェノールなどを日頃の食事でとるということ。

ビタミンEはピーナッツやヨーグルト。
ビタミンCは緑黄色野菜。 
カテキンはお茶。
ポリフェノールは赤ワイン。

人間は30歳くらいから老化が始まります。その頃からこうした食べ物を積極的に食べるといいのです。


  老人「おい、悠太」
  悠太「あれ、おじいさん、どうしてオレの名前、
     知ってんの?」
  老人「まぁいい。悠太、お前、富士山、知ってるか」
  悠太「知ってるよ」
  老人「じゃ、富士山はどうして富士山っていうか、知ってるか?」
  悠太「え、知らないよ、そんなこと」
  老人「それはな、女の子に振られた偉い人が、富士山のてっぺんで、
     女の子にもらった不老不死の薬を焼いたんだ。
     それで死なない山、『ふ・じ・さ・ん』って言うんだ
  悠太「へぇ、そうなの? でも、なんか情けな〜。
     その偉い人、誰に振られたの?」
  老人「かぐや姫」
  悠太「かぐや姫?」


かぐや姫の時代から不老不死は憧れでした。不老不死の話はまだまだあります。
ある親孝行な男が山の中でいい香りのする滝を見つけた。なんと滝の水は酒だったのです。孝行息子はその水を汲み、年老いた父親に飲ませます。すると、あら不思議。父親はみるみる若返っていった。養老の滝の伝説です。

こうした、不老不死を求める昔話は世界各地に残っています。でも、科学の進歩は私たちの『不老不死の夢』を完全に否定してしまうのです。

命あるものはいずれ死ぬ。辛い運命です。でも、体を作っていた細胞は未来永劫、永遠に生き続ける。ずっとそう信じられてきました。
ところが、細胞分裂にも限界があることが発見されたのです。
ヒトの胎児の細胞で細胞分裂の実験をしたところ、およそ50回ほど分裂すると、それ以上は分裂しなくなりました。実験を何回繰り返しても、結果は同じでした。
この現象は発見した科学者の名前から「ヘイフリックの限界」と呼ばれ、今では常識とされています。

正常な細胞でも、生まれた時から分裂できる回数は決まっていて、それを超えることは決してないのです。
不老不死へのほのかな夢を完全に否定する「ヘイフリックの限界」。しかし、細胞は分裂した回数をどのようにして記憶しているのでしょうか?

染色体の端の部分に「テロメア」と呼ばれる部分があります。細胞が分裂するたびにテロメアは短くなっていきます。そして、決められた回数がくると分裂は止まります。
まるで「回数券」のようなテロメア。細胞分裂をカウントしているのは、このテロメアなのです。

テロメアによって「死」をプログラムされた細胞。でも、その運命をこえて生き続ける細胞があります。それはガン細胞です。
50年も前に亡くなった女性のがん細胞。それがまだ分裂を続けています。なぜガン細胞は生き続けることができるのでしょうか?

生命の「回数券」とも言える「テロメア」。実はそのテロメアを伸ばす、言ってみれば「回数券」を与える酵素があるのです。
それは「テロメレース」。この酵素はがん細胞や生殖細胞だけにある酵素です。
ガン細胞のテロメアに回数券を配り続け、永遠の命を与えるテロメレース。とすると、正常な細胞を生かし続けることもできるのではないでしょうか?

実はそこに目をつけた企業がアメリカにあります。
アメリカのあるバイオ企業は1998(H10)年、テロメレースを応用し、ヒトの細胞の不死化に成功しました。
一躍注目を集めたこの企業、株価が暴騰し、株式市場が停止する騒ぎとなったほどです。

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「命の回数券」テロメア。喫煙などの生活習慣でも、その回数は変わると言われます。
大切なテロメア。しかし、その大切さは、個人だけのものではありません。人間が人間として生まれ、進化するために絶対に欠かせないもの。それが「テロメア」なのです。


生まれたばかりの赤ん坊

  悠太「赤ん坊だ!」
  老人「生まれたばかりだな」
  悠太「かわいいね」
  老人「そうだな。
     ところで悠太、お前は誰から生まれたんだ?」
  悠太「お父さんとお母さんだよ。あたり前じゃん」
  老人「そう。誰もがお父さんとお母さんから生まれる。
     だが、そうなった時から、人は『老い』と『死』とを背負い込んだんだ」
  悠太「え、どういうこと?」
  老人「それはな・・・」

多くの生き物は卵子と精子がひとつになって生まれます。父親と母親に分かれて子どもを作る「有性生殖」です。そのおかげで、お父さんとお母さん、両方の遺伝子を受け継ぐことができるのです。兄弟が違う個性を持つのはそのためです。

有性生殖は生命の多様さ、多彩さを生みました。でもそれは、私たちが最もおそれる「老化と死」をも運命づけました。
「命の回数券」テロメア。「死」をプログラムし、「死」にむかってカウントダウンする、あの「テロメア」がないと、有性生殖をすることはできないのです。

生き物の多くは、お父さんとお母さんから生まれる道を選びました。その時、「命の回数券・テロメア」を受け入れました。子孫の繁栄のために、不老不死を手放したのです。


川をさかのぼるサケの群れ

  老人「サケが川をのぼってるな」
  悠太「卵を産みに、生まれた川に帰ってきたんだよね」
  老人「お、知ってるな。じゃ、卵を産んだあと、サケはどうなる?」
  悠太「う〜ん・・・
     (流れるサケを見て)あ、おじいさん、見て!
     ・・死んでるのかな?」
  老人「そう。サケは卵を産んだらすぐに死んでしまう。
     サケには今のワシみたいな『老後』という時間がないんだよ」

子孫を残してすぐに、サケの命の火は消えます。カマキリのオスも同じ。受精が終わるとメスに食べられます。こんな、『老後』のない生き物もいるのです。
しかし、人間は違います。
子供を育て終わってから、長い老後を生き続けなければなりません。

世界一の長寿国日本。しかし、寝たきりになる老人の数も多いのが現状です。
でも、沖縄のお年寄りは元気です。
沖縄県大宜味村。沖縄でも長寿の村として知られています。
3500人の人口のうち、80歳以上がなんと417人。90歳以上は80人を数えます。
歳をとっても隠居なんかはしません。おしゃべりをしながら、ジュースにするミカンをむくお年寄りたち。特産の「芭蕉布」を織るため、縁側で糸を紡ぐおばあさん。
「生涯現役」。それが村の合い言葉です。

この村に百歳になった今でも畑仕事をする、元気なおばあがいます。
おばあの家には毎朝、近くの人たちが入れ替わり立ち替わり、お茶を飲みにやってきます。そして、おばあを囲んでおしゃべり。
このおしゃべりの時間が、何にも増しておばあは楽しみです。

豚肉。ゴーヤーと呼ばれるニガウリ。
典型的な沖縄料理も、長寿の秘けつです。
おばあは、ひとりで食事をすることはありません。いつも家族や友だちとお皿をつつきます。
今日は大好物の「豚の耳・ミミガー」も並び、おばあご機嫌。
そして、食事のあとは、ゆっくりお散歩です。

人と人との関わりの中で、自分自身の役割を持つ。それが精神的な若さにつながります。いくつになっても友だちと遊ぶこと。浮き浮きする心を持ち続けること。大宜味村のお年寄りたちは、その大切さを教えてくれます。

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老いを救う女神があらわれた!
1997(H9)年の大発見。老化を抑える驚異の遺伝子。生命の糸を紡ぐ女神の名を持つ「クロトー」がそれです。

ここに二匹の兄弟マウスがいます。小さいほうのマウスは、クロトー遺伝子が壊れています。普通の寿命は二年ほどですが、クロトー遺伝子が壊れたマウスは60日ほど。動脈硬化や骨粗鬆症など、人間と同じ老化症状を示し、死んでしまうのです。

クロトー遺伝子は老化を抑える。その効果は実験で裏付けられています。
クロトー遺伝子が壊れて老化症状が出たマウスと、普通のマウスを手術でつなぎ合わせてみます。すると二匹のマウスの血液が混ざり合い、クロトー遺伝子が壊れているマウスの老化症状が改善されたのです。


人間もこのクロトー遺伝子を持っています。
発見以来、世界の注目を集めているクロトー遺伝子。最近の研究で、クロトー遺伝子が体のカルシウム濃度を一定に保つ働きをしていることがつきとめられました。

ふつう、私たちの細胞の中では、タンパク質の分解と合成とがバランスよく行われています。しかし、クロトー遺伝子がなくなると、体内のバランスが崩れ、カルシウムやリン酸の濃度が非常に高くなります。
その結果、細胞内のタンパク質の分解が異常に進み、細胞を傷つけたり、壊したりします。それが様々な老化症状としてあらわれるのです。

私たちの細胞はタンパク質でできています。タンパク質の分解が異常に進むことは、細胞の死、そして、私たち自身の死を意味します。

マウスは歳をとるとクロトー遺伝子の量が減ることが判明しています。人間でもそうだとしたら、クロトー遺伝子を維持したり、増やしたりすることが老化防止につながります。生活の中でも「老い」を遅らせることができる。そんな可能性も広がります。
間もなく、人間のクロトー遺伝子に関する実験結果が 明らかになります。その結果次第では、不老への道が一気に進むかもしれません。


  老人「老いることがゆっくりになる、か。
     楽しみだな。
     おっと、これは人魚の絵だ。
     人魚にまつわるこんな話があるのを知ってるか?
     ある少女が人魚の肉を食べて八〇〇歳まで生きた話。
     八百比丘尼の伝説だ。
     少女はいつまでも若く、美しい。
     だが、村人は化け物よばわりをする。
     何十人もの夫に嫁ぐが、子どもをもうけることも出来ず、
     夫には次々と先立たれてしまう。
     絶望した少女は各地を放浪したあげく、
     仏門に入り、尼となる。

     そして最後は、自ら命を絶ってしまった。

     比丘尼は幸せだったのかなぁ。
     年老いて、行き着く果てには『死』が待っている。
     だからこそ、この一瞬の命がいとおしくてならない。
     そうじゃないか?」


佐賀県のある老人ホームで暮らすおばあさん。103歳になります。足が弱り、ベッドで過ごすことが多くはなりましたが、口も、指先も、たっしゃです。
長生きの秘訣は何なのでしょう。

おばあさんは少しでも時間があると小さなワラジを作ります。わらじ作りは、ただの趣味ではありません。今も近所のお母さんたちに作り方を教えています。まわりの子供たちもおばあさんのわらじを楽しみにしています。
子供たちのランドセルで揺れるわらじ。健やかに育って欲しいというおばあさんの願いが込められているのです。

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悠太と老人が出会った昼下がりの公園。

  悠太「おじいさん! おじいさん!」

 老人、気づいて、サッカーボールを悠太に渡しながら、

  老人「楽しかったかい?」
  悠太「うん。おじいさん、誰なの?」
  老人「ワシかい? ワシはな・・」

 悠太の友だちが声をかける。

  友だち「おい、何してんだよ!」

 友だちの方を振り向いた悠太、老人の方に向き直ると老人はいない。

  悠太「あれ、おじいさんは?」
  友だち「何言ってんだよ。お前、ひとりでボーッとしてたんじゃん」

 悠太からボールをひったくるようにとって走っていく友だち。
 呆然とする悠太の頭上から老人の声が聞こえる。

  老人「ワシは、90年後のお前だよ」
  悠太「え、ほんと? 90年たったら、僕、100歳になっちゃうよ」
  老人「そう。今ちょうど100歳。ワシの時代じゃ普通だぞ。
     まだまだ元気だし、22世紀を見ることができるかもしれんな」
  悠太「22世紀? すごいね!」
  老人「だから体を大事にな」

 遠くから男の子を呼ぶ友だち。

  友だち「おーい、さっさとこいよ!」
  老人「ほら、友だちが呼んでるぞ」

 友だちに返事をする悠太

  悠太「おう!」

 悠太、老人の声の方を向いて、

  悠太「おじいさん、ありがと!」

 友だちの方へ走っていく悠太。

  老人「長生きできるのは嬉しいぞ。
     だがな、家庭や社会の中で生きがいや自分の居場所を見つけること。
     それが何よりも大切だ。

     『不老』『老いることのない人生』。
     それは自分自身の役割を持ちながら、
     社会の中で健やかに年齢を重ねていくことだ。
     それが生きる喜びなんだ。忘れるな」

 友だちと走っていく悠太。
 見送る老人。

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◆制作の思い出

科学モノは難しいと改めて感じた番組でした。
協力していただいた先生方は、可能な限り易しく取材に答えてくださいました。それがディレクターのH氏もぼくも、さっぱりわからないのです。
「これを読めばわかりますよ」と渡してくださった参考書。分厚く大きなサイズのその本は全部英語。日本語は一文字もありません。全く読めません、読めるハズがありません。
これを読めとあっさり言われるセンセイ、恐るべし!

構成するにあたり「素人が理解できるようにデフォルメします。科学者の目で見て多少おかしくてもお許しください」とお伝えし、ご了承をいただきました。しかし、できあがった構成を見て、先生はおかんむり。H氏が先生の元へ飛んでいきました。

アメリカ取材にも行くはずでした。しかし、あの「9.11」が起こり、会社側は危険を避けるために出張制限をとりました。
仕方なく、H氏はアメリカのカメラマンに取材を依頼。ところがこれが使えません。難しいテーマのせいもあるのでしょうが、欲しいシーン、言葉がほとんどとれてないのです。
やはり、どんな番組を作りたいかをわかっているディレクター自らの取材と、口頭と書面で内容は伝えているものの、番組そのものに熱意は持てないカメラマンとの違いなのでしょう。そのため、アメリカの部分が薄くなってしまったのが悔やまれます。

普通の科学系の番組(ばかりではありません。今や、ほとんどの番組)では必ずCGが使われます。視聴者の目は肥えているので、平凡なCGでは目を引くことは難しい。そう思い、図解などは老人が子供に紙芝居で教えるような形をとるつもりでした。
実際、ひとつのシーンは紙芝居が登場します。
しかし、ディレクターのH氏は「さえない」と言うのです。結局、紙芝居を考えていたパートは編集過程でCGと絵に差し替えになりました。
この番組は全国放送だったので、H氏は紙芝居方式では恥ずかしいと思われたのかもしれません。
ぼくは今でも、図解部分が全編紙芝居だったら番組にもっと色づけできてよかったなぁと思っています。

でも、老人と子供をナビゲーターとして使ったり、楽しい仕事でした。


老人と子供を撮影する直前に義父が危篤になり、山梨県の甲府まで飛びました。
ぼくら夫婦がベッドの横に着いてから6時間後の深夜、義父は亡くなります。
翌日はロケ。一睡もしないまま福岡へとんぼがえり。ロケを終えてから、また甲府へ戻りました。
そんな個人的な出来事も重なった、思い出深い番組です。

(2003年10月記)



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