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番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

賞、賞、あぁ賞



今年(2005年)も数々のテレビ番組コンテストが行われ、たくさんの優れた番組が賞を受けた。しかし、それらの番組を業界にいる人間でさえ気軽に見ることができないのはどうにかならないものか。

ぼくは以前、同じような内容の文章を新聞に投書したことがあるけれど(「地方局は、系列を超えた番組流通網を」)、見たくても見ることができない実態はなんら変化がない。

例えば、民放で最も歴史と権威があるとされる「 日本民間放送連盟賞 」。

同賞のテレビ部門は「報道部門」「教養部門」「エンターテインメント部門」そして「ドラマ部門」の四つに分かれている。そのうち、コスト面などで実質的にローカル局が参加することが難しい「ドラマ部門」以外の3部門いずれかで賞に輝くのは、民間放送、特にローカル局に働く人間にとって名誉なことだ。

この賞は、全国を七つの地区に分け、それぞれ上記3部門のコンテストが行われる。そして、地方選考会で選ばれた1作品が、それぞれの部門の地区代表として全国大会へノミネート。集まった各部門7作品の中から、部門ごとに1作品だけが最優秀賞に輝くというわけだ。

今年も各部門に7作品、計21番組が全国大会にノミネートされた。ところが、きょうまでのところ、ぼくが見ることのできた番組は、

報道部門で九州沖縄地区の代表となった、

 * 熊本放送 「井上家の裁判 ~国と闘い続ける中国残留孤児家族~」

同じく、エンターテインメント部門の代表である、

 * 琉球放送 「ワタブーショー ~照屋林助のチャンプラリズム~ 」

この2作品だけ。
後者にはぼくは番組の制作に参加していたので、純粋に視聴者として見ることができた番組は前者ひとつだけということだ。

全国大会まで行った番組は、地元の局では再放送されることが多い。しかし、それ以外の地区では流される可能性は限りなく低い。

ディレクターをはじめとするスタッフが懸命に取材し、徹夜を重ねながら自分たちの伝えたいことを映像と音声に込めていく。そうして完成し、高い評価も得た番組が、いったん流れたら未来永劫、誰に目にも触れることがない。おもしろいから、いい番組だから、広く視聴者に見てもらいたいと思っても、どうしようもない。テレビというメディアの悲しさ、むなしさを思ってしまう。


熊本放送制作の「井上家の裁判 ~国と闘い続ける中国残留孤児家族~」は、日本に永住帰国を果たしながらも退去命令を出された家族を追っている。

中国から帰国した残留孤児の男性は、中国人妻の連れ子である長女と次女家族も日本に呼び寄せた。しかし、連れ子とその家族が国外退去命令を受ける。日本人である男性と血のつながりがないというのがその理由。日本の法制度は家族というものの証明を“血縁関係”に求めているからだ。

しかし、男性とその家族は、“互いの絆”こそが家族というものの一番大切なものだと主張し、退去処分取り消しを求めて裁判を起こした。

家族とは“血”なのか、“絆”なのか。
日本という国が起こした侵略戦争により背負わなくてもいい運命を背負った孤児が、ふるさと日本でどのような扱いを受けているのか。
そして、当局の対応に見え隠れする冷徹さは、ぼくら日本人一般が心の奥底に持つ、他人事へのひんやりとした視線なのではないか。

家族の姿をじっくりと描き、そんなことを考えさせてくれるこの番組は、本年度の「 地方の時代映画祭 」でもグランプリを獲得した。

こうした、熱のこもった、考えさせられる番組をローカル局は数多く作っているのだ。しかし、放送エリアが違う視聴者が目にする機会はない。なんともったいないことか。

東京キー局が作る番組だけが見るに値するものではない。ローカル局の地味な、予算もかけてない、音の収録などは実に雑な、それでも限られた人員で、時間とディリーの仕事に追いまくられながら作り上げている番組にも、見る人の胸を打ち、脳裏に焼き付いて離れず、生き方さえをも揺さぶる、そんな番組がある。上記の番組は、そうした番組のひとつなのだ。

それが、受賞のお祝いとして自局で再放送されて、終わり。

なぜ、ぼくら他県のエリアでは放送してくれないのか? 視聴率がとれないからなのか? 賞取り合戦のライバルの番組なぞ、流すわけにはいかないのか?

いい番組を作り、または探して視聴者に提供するのが、テレビ局の使命だろう。莫大な予算をかけつつも一部の人気タレントに頼ったキー局制作のドタバタ番組をネット配信することばかりに頼らず、ローカル局の間で地元の個性的な番組を提供し合ったりということはできないのだろうか? 

ローカル局制作の番組も、グルメ番組、旅番組、芸能ニュース・・・・。それも大いに結構だ。ぼくも好きだし、ちょくちょく拝見しては楽しんでいる。視聴率を取り、営業成績に結びつけねば企業としての局の経営が危うくなるのもわかる。誰がなんと言おうと、テレビ局も営利企業なのだから。

だがしかし、年に数回くらいは、ゴールデンと言われる夕方から夜にかけてのたった1時間をこうした番組のために割いてもバチはあたるまい。それで視聴率が悪くとも、視聴者の胸へ訴えかけるその深さは、情報番組では達し得ない部分まで届くほどに深いに違いない。


力作がたくさんありながら、視聴者の目には届かない。そんな現状の中、「テレビはアホらしくて、もう見る気もしないね」と言う友人の言葉などを耳にすると、メディアとしての責任を果たしていないのではないかという脱力感を覚えてしまう。


テレビ局に行くと、社内向けの掲示板に「視聴率×%獲得!」といった告知に並び、「○○賞を受賞しました!」と派手な張り紙がしてあることがある。受賞は名誉なことではあるし、掲示したくなる気持ちは重々理解できる。番組作りの現場にいる人間たちへの叱咤激励でもあるだろうし、ぼくも自分が参加した番組が賞を得たら、それはとても嬉しいことだから。

しかし、あまたいるディレクターが、日々、生き馬の目を抜くような競争をしているキー局ならいざ知らず、数人の制作部員しかいないローカル局で、こうした張り紙で麗々しくあおり立てるのはどうかとも思う。部員のライバル心を動かすという効果もあまり期待はできまい。

本当に主張すべき相手は、他のマスコミであり、視聴者だ。

以前、あるコンテストで最優秀賞を獲得したディレクターが、「うちの局は、なぜもっと受賞したことを外にアピールしないんだろう」と嘆いていたことがある。それは、受賞したのは自分だということを喧伝したいのではなく、全国レベルのコンテストで優秀な成績をおさめることができるほどに局は制作力があると主張し、結果的に局のイメージや営業成績のアップにつなげて欲しいということなのだ。ぼくは、そのディレクターの言葉に賛同する。

多少の経費をかけてでも、新聞なりの他媒体で自社の制作力の高さを一般に向けてアピールする。テレビでもバンバン告知する。その方が、自社の掲示板に張り出して、社員各位に「ふ~ん」と思わせるよりも、受賞したことの真の意味が出てくることは間違いないのだ。


広く一般視聴者にその存在を知ってもらわなければ、どんなに権威があると言ってみても、しょせんそれは業界内の自慰的イベントに終わってしまう。そんな性格の賞が多いから、新聞などの扱いも他の、例えば文学関係の賞などと比べると悲しいほどに小さい。

新聞社にしてみれば、紙面に掲載できるのは局名と受賞した番組のタイトルくらいじゃないか。読者が興味を持ったとしても、その番組に接する可能性がないのだから、記事にしても大した意味がない、となる。

あぁ、これまたテレビというメディアの持つ一過性の問題へと舞い戻ってしまう。


なんとかならんか?


以前、日本民間放送連盟は、各部門で最優秀賞に輝いた作品を全国ネットで放映するという発表をしたように思うのだが、あれはどうなっているのだろう? 




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