2007/06/04(月)21:45
「一緒にやれそう」
夜、9時過ぎに携帯へTELあり。2年ほど前、一緒に番組を作ったディレクターだった。
元カメラマン。50代でディレクターへ転身したオヤジ・ディレクターで、カメラも自分でまわし、編集も自分でやるから、スタッフはほとんど彼ひとり。ぼくと合わせて100歳コンビ、あ~だこ~だとやりとりしつつその番組は楽しく仕上がった。
おじさん同士打ち上げの席で、「また一緒にやろうよ」と言ってからいつの間にやら丸2年。懐かしいなとひとしきり話をしたあと、「実は、また一緒にやれそうな雰囲気に」と電話の用件を切り出した。
制作現場っていうのは上に立つ人の考え方によってコロコロ変わる。ぼくのような外部の人間を入れてもOKよ、という人が制作の現場を仕切ると、そういう人は大体行け行けドンドン的な人なので、現場にも活気が出るし、会社の組織力学に無頓着な外部の声も入るので、できる番組もより面白くなる(欲目かな? でも、こう思ってないとフリーなんてやっとれん)。
それに対し、「社内の人間だけでできるのに、なんで外部のヤツを入れる必要があんねん?」的な考え方の人が現場の責任者の座に座ると、総じて現場のダイナミックさがなくなる。
もちろん、例外もある。自社のスタッフで固めて、外部の人間を一切入れず、なおかついい番組を作り続けている局もある。そういう局はチェック機能(番組作りを知らない上司が勝手なことを言うのとは違う)がきちんとしていて、現場の人間が自然と鍛えられるようなシステムになっていたりする。
大したもんだと思うけど、そういう局も実はディレクターは子会社からの出向という形だったり、カメラマンも子会社に所属、またはフリーや契約だったりする。純然たる「自社制作番組」なんてあるんかね?というのが現状だ。
久しぶりに電話をくれたオヤジ・ディレクターは「一緒にやれそうな雰囲気に」と言ったけど、それは現場を仕切る偉い人が異動でかわったという意味だった。前任者は「なんで外部を使うねん。外払いが増えるやんか」という考え方をする人だったようで、ディレクターはひとりで煮詰まりつつの番組作りを強いられていた。
外払いを減らすというのは経営側の管理職としては正しい選択だろう。社内スタッフ(厳密には他社の社員だけど)で完結すれば余計な経費もかからないから社内的なウケもいいだろう。でも、時には外の風に吹かれたり、耳に痛い意見を聞いたりしないと、制作力って低下する一方だと思う。
現場のディレクターの考え方はいろいろ。一から十まで自分でやりたい人もいれば、違った視点を入れながら修正しつつ作り上げたい人もいる。
オヤジ・ディレクターは上司がかわり、「一緒にやれそうな雰囲気に」なったと思った時、ぼくに電話をくれた。嬉しいね。まだ一緒にやれるかどうかはわからないけど、やるからには楽しいものにしたいな。