統一教会排除に対する違憲判決を期待するネトウヨ幻想
以下は、FBグループ「反自民国民運動」におけるやりとりです。田村 憲太郎憲法で定められた「信教の自由」とは、如何なる教義を持った宗教に傾向する信者も一律に同じ社会通念で受け入れられることを指すものであり、選挙だのTV番組のボランティアに統一教会の信者だけ締め出すことは、これに反するものである。 鈴木 康主催者が私人である限り、TV番組のボランティアに統一教会の信者を締め出す自由を否定してはイカンだろう。自民党が自由で民主的な党なら統一教会の信者のボランティアを締め出すべきだった。 田村 憲太郎私人も憲法遵守の義務は背負っているから無理だろう。統一教会側から訴えられたなら勝ち目はない。公人である政治家、政党なら尚更だ。与野党関係なくね。 鈴木 康憲法第20条 【信教の自由】 第1項 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 という規定は国権による信教の自由の制限を禁じるものであって、私人による信教の自由の制限を一律に禁じるものではない。具体例を挙げれば、キリスト教会内で念仏を唱える行為を排除する自由をキリスト教会は持つということだ。共産党に反共分子の潜入を排除する自由があるように、自民党にも非民主的な組織のボランティアを排除する自由がある。尊重しなければならない自由は批判したり排除したりする自由で、これがなければ自由主義国とはいえない。むろん、いわれなき排除であれば裁判で負けるだろうが、日本の司法は私人による統一教会排除を違憲とするほど劣化はしていないだろう。 田村 憲太郎それも度返ししたところでの判決になると思うよ、きっと。国家権限に値しない私人の判断でそれをあがらうことは勿論自由。ただし、それには基づく根拠が必要だという話になる。すると、他の宗教団体の支援は受け入れている以上、統一教会のみを排除することは難しいというロジックに結び付く。だって立正佼成会や創価学会、真如宗、成長の家…どの宗教団体も以前は反社会性のある布教活動をやっていた実態があるわけだから。「たまたま統一教会の霊感商法だけが話題になったから、統一教会だけご遠慮いただく」これは私人が運営する民間団体であっても中々通用しない。また「ボランティア」だという前提もあるからな。 鈴木 康判決は民度の反映で、統一教会排除をためらうような国民を減らせれば統一教会排除が合法という判決が出るでしょう。 田村 憲太郎民事でそう決まったとしても排除はできない。「事実上」という前置きを置いたとしてもね。 鈴木 康統一教会としても自分たちが排除されるのは違憲だといった裁判は起こさないと思います。政治的あるいは宗教的な盟約集団は組織に合わない人間を排除することで組織を維持しているわけで、そこは統一教会も他の政治あるいは宗教組織と一緒でしょう。 田村 憲太郎その理屈が正当なものだとするなら、なぜ今現在もオウムはなくならないのでしょう?むしろアレフや光の輪は公安から護られている向きもありますよね? 鈴木 康「アレフや光の輪は公安から護られている」かどうかはわからんけど、反社会的な邪教を根絶やしにするような支配体制は危険と思います。犯罪に走らない限り強権的な介入はしないのが民主主義国でしょう。 田村 憲太郎「公安の監視下に置く」ことで、逆に存続を担保されているんですよ。日本共産党も同じです。そうやって、言論、結社、新興の自由とカルトの取り締まりのバランスを取っている。統一教会も同じです。 美津濃 ななえ田村 憲太郎 さま公安の監視下から外したのダレ?外した以上成り立たない主張じゃん。共産党を外したら青筋立てて怒るんじゃない?なんでかダブスタ 田村 憲太郎もはやその必要がなくなったから自民党政権下で対象から外れた。外れない共産党は統一教会以下のカルトだが?なにがダブスタ? 鈴木 康共産党や統一教会の存在を担保するようなおバカ政府は共に打倒しよう!