カテゴリ:Memoir
夜明け前に、日本から訃報のメールが届く。わが恩師が逝去。しかも、すでに4月24日亡くなられていたとのこと。詳細はまだ公にされていないらしい。今にして思えば、恩師のフェイスブックの写真が4月24日に更新されていたのは、ご家族が「遺影」として残されたものだったのかもしれない…。
この連絡を、ロンドンで受けるとは――1990(H. 2)年2月、マンハイムの資料収集のため LSE を訪れていた私は、疲れ切って B&B (Hotel Cavendish, 75 Gower Street) で昼寝(夕寝?)をした日があったが、その時に、恩師が飛行機事故か何かで亡くなるという嫌な夢を見て、ぐったりして目を覚ましたのを思い出す(詳細は、帰国してから当時の日記を引っ張り出すことにしよう)。それから27年経って、よりによってそのロンドンで本当の訃報に接するとは。 恩師から受けた31年の学恩は、簡単に語り尽せるものではない。また、研究・教育の1側面が、過去の知的蓄積を未来に継承するところにあるのであれば、恩師が残された知的遺産を次の世代へと意味ある形で展開するのが、残された者の使命だろう。今、そのために私は、マンハイムの資料を求めてロンドンに滞在している。 心よりご冥福をお祈りいたします。 (追伸:帰国後に公にされたところによれば、亡くなったのは4月23日、葬儀が翌24日だったという。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.05.08 21:08:36
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