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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2007年06月21日
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カテゴリ:ジャクボーの納戸

 血液型と日本人の情緒

 実はこの原文を書いたのは2004年秋であった。確かほとんど書いた時に次回を楽しみにしているといった主旨のメールがあって、占いなどをこれこれで否定するので、気に触る人も多いだろうといった返事をし、その後また忘れていたのである。当時は、テレビでやたらと血液型で性格を云々していたが、これは現在下火になっている。しかし、とっくの昔に終わっていた占いオババを引っ張り出して、たわ言を撒き散らせる極低脳なテレビ番組が盛んなのは相変わらずだ。なかなかしぶとい。
 とりあえず、2004年当時、やたら盛んであった血液型性格診断では、何と血液と性格がリンクする科学的根拠があるなどと言い出す「科者」まで出現しており、その愚かしさに憤りを飛び越え愕然としたのがこの話を書くきっかけとなったので、まずそれから始めたい。

 皆様、この世界は面白いですな。詳しく調べる気にすらなかったが、どうやら血液型によってかかりやすい病気、かかりにくい病気があることと、性格を混同させてしまっても、それが科学だと思える仁がいるのだから!
 万物の霊長であらせられる人間様も、この世の環境変化に種として生き残るために、多様性を持つべく進化しているのはすでに動かせない事実と言えよう。おかげで外見ではわからなくとも、いろいろな「変種」(DNAのごく一部の変化)は極めて多様に存在しており、おかげである凶悪な伝染病が流行して多くの死者がでてしまっても、それにかかりにくい体質の人間がわずかに存在し、その人々が生き残って繁栄してくれるといった塩梅になっている。例えばエイズなどは、今現在でも不治の恐ろしい病気だが、それにかかりにくい体質の人間の存在もしっかり確認されている。ありがたいですな、何十億も個体数があるというのは!
 さて、今現在、血液型によって特定の病気に罹患する可能性が、著しく異なることを裏付ける科学的データはないように思われる。しかし、人類はその進化の上で、赤血球上に存在する抗原のタイプを変化させる事で、特定の病気でのリスクを分散してきた可能性はかなり高いかもしれず、現在存在する地域による血液型比率の相違は、人類史的な時間の流れ(何万年単位)で考えると、血液型による多少の病気への対応力の相違の現れと見なすことも可能ではあるだろう。
 しかし、それと性格はまったく無関係である。否、むしろ無関係でなければならない。
 ここで仮にX型の人間だけを死に追いやる凶悪な病原体が出現し、悲しいかな地上からX型の人々が一人残らずお亡くなりになったとする。もし血液型と性格が関連のあるものなら、嗚呼神よ!X型の性格も地球人類からきれいさっぱり消滅させたもうか!?になってしまう。
 もしこれが本当であれば、多様性を可とする進化としては、はなはだ不合理なものと言えよう。なぜなら、例えばそのX型の人間に好奇心が強いという一般的な性格が付随し、一方生き残ったY型に慎重という一般的に共通する性格があったとしたらどうだろう。人類はX型を失うことにより、全体的に慎重になり、何らかの進歩は止まってしまうのではなかろうか。反対に血液型と性格が無関係であれば、X型が消えようと、Y型が消えようと、積極派と慎重派の比率は変わらず、人類の進歩に大した変化は無いはずである。
 もし多様性を求める進化という科学を認めるのであれば、血液型と性格を一体化させる必然性を論理的に探すことは出来ないと言える。もしわざわざ一体化させたら、人類の生き残り作戦上とんでもなく不都合になるのは明らかなのだ。
 結局、血液型と性格を一体化させる証拠など、「違って欲しい」という先入観からおこなった、非常に瑣末な非科学的データしかないのではなかろうか。もし自然科学的データを録りたいのであれば、幼い頃から否応無く血液型性格診断の呪縛をうけている日本人ではなく、そんなものの存在すら知らない外国人をサンプルにして行なうしかない。
 さて、なぜ性格とはまったく無関係なABO式の血液型分類に、世界で唯一日本人だけが着目し、そこから性格を大別出来ると思い込むに至っているのか、これは文化人類学や社会比較論において、重要なテーマとすべきものに相違ない。しかし、そんな学問など考慮する必要の無い立場の人間として推察すれば、それには日本人の大部分を構成する大和民族に、たまたま世界的には珍しいA型が多かったという科学的な事実があるように思われる。
 周知のように日本人の自己認識と言えば、「勤勉」「まじめ」「規律的」「責任感」などといった「お堅い」ものが多い。男性で言えば、夏でもスーツにネクタイをしめて外を営業して回り、冬の満員電車では眼鏡をくもらせ痴漢と間違えられながらも、不平も言わずに耐えているサラリーマンのイメージであろう。ところが、このイメージこそがそのまま血液型性格診断におけるA型の性格になっていることに気づかされないだろうか?
 日本人は自分たちのことを、ずいぶん特別な民族だと思っている。それ自体どこの民族も多少ともそう思っているし、極端な選民思想に陥らない限り悪いことではないが、その合理的な理由を考えたがるのは国民性の面白いところだ。
 例えば、郊外の住宅地に住むサラリーマンの某氏が、新聞を見ながら日本のありようを嘆息してつぶやくには、「A型の多い日本人のことを他国は理解してくれない・・・」だ。さらに会社にあっては、時間を守らず、叱ったところでまったく改まらない部下を見て思うのである。「こいつはB型に違いない・・・」
 これに科学もへちまも無いと、オツムの足りない「科学者」が何をぬかそうと私は断言する。血液型性格診断などというものは、日本人の多数派(A型)が、勤勉ながらきわめて情緒的に考えたものに相違ないのである。自分たちがA型なら、異なる抗原を持つB型は反対の性格であらねばならず、正反対のものを併せ持つAB型は二重人格であり、どちらも持たないO型は寛大だ。これは、きわめて単純非科学な妄想論理の帰結と誰もが気づくはずだが、あら不思議、実際の血液型性格類型を見てもそんなものばかりではないか!!
 科学的な血液型に、非科学的な妄想を結び付けてそれを科学と呼ぶのは、非科学であるからこそ意味のある宗教にさえ、科学的根拠(実に他愛の無いこじつけだが)を求め、それが教祖様から厳かな断定的な口調で与えられれば喜んでしまう者の多い、日本人ならではの事態と見なせる。信じる者は救われない事もあるので、気をつけねばなるまい。

 さて、もちろん私がB型であることは、紛れも無い事実である。しかし、血液型診断を信じるA型の非科学的な諸賢よ、詳しく見ればBO型なので、純粋なるBB型と異なる雑種なのだ。嗚呼、残念!







Last updated  2007年06月21日 22時40分27秒
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