2010/06/14(月)22:30
現代日本画の文鳥たち
つぼ巣でいちゃつくノコリとスミ 新しくなった下段の止まり木を嫌って、エサや水を飲みにすら行かない文鳥もいる様子に、朝から飼い主は不安な気持ちを抱えていた。もっとも、下段に行かずとも、エサはアワ玉、水分は青菜で補給できるのだが・・・。とにかく、放鳥中にエサ箱に当たらないように改善したので、明日には慣れてくれるように願いたい。
ノコリとスミは、昨日より親密さを増し、カップル成立の証しであるつぼ巣に一緒に入るようにもなったので、今夜から同居させることにした。同居鳥を失うシンは、さぞ悲しむだろうと思ったが、ブランコに乗って眠そうにしているだけであった。色恋よりも、換羽でかったるいのだろう。シンが換羽を終えて元気になる頃には、隣カゴのケコも元の美しい姿になっているはずなので、こちらも自然にカップルになってくれることを祈りたい。
飼い主の遠大な?計画では、ノコリとケコとの間でごま塩か白い羽の多い桜を生んでもらい、その文鳥とノッチ・イッツの子供を夫婦にすることで、我が家の系統に白い差し毛を強化されることになっていたが、シンとケコでごま塩か白文鳥が生まれても、それはそれで楽しみだ。・・・シンとケコのカゴを少し近づけておこうか。【余談~現代日本画の文鳥~】
『アート・ルキサン』さんが、15パーセント割引セールを継続しつつ南国バリに旅立たれた昨今、私は日本画の文鳥を楽しもうと、図録などに手を出していたのであった。
もちろん、博物館を冷やかしても、美術館には近づかないポリシーなので、白状すれば「美術館」と名の付くところで行った記憶があるのは、サントリー美術館と出光美術館だけだ。それも、大学の授業で強制されてのものなので、数のうちに入れるべきかは甚だ怪しい。
もちろん、HP『二人散脚』さんが、白文鳥と水仙をモチーフにした「長閑」を挙げて牧進画伯を薦められていたので、気にはなっていたのである。そして、最近になって、その牧進画伯の作品展が今年高島屋で行われていた(過去形)展示会に、やはり白文鳥と赤い薔薇(おお!高島屋!)をモチーフとした『愛嬌』という作品が展示されていたらしいことを知った。また、原種的な文鳥を描いたものがあると『二人散脚』さんが指摘されている『NHK今日の料理』の表紙絵などの牧画伯の作品は、箱根の成川美術館が多く所蔵していることもわかった。しかし、箱根となると、同じ県内でも、ちょっと行って見る距離感ではない。
一方、原種的文鳥を描かれた近代日本画家としては、故上村松篁画伯が真っ先に挙げられるものと思う。上村画伯は、6歳の頃、桜文鳥を飼育され、誤って外に出てしまった文鳥が楓に止まっている姿が、大きく心に焼き付き、その後鳥をモチーフにした作品で世に知られる基になったそうだ(『美の巨人たち』というテレビ東京の番組で今年1月23日放映。・・・これも1月か)。従って、晩年まで桜文鳥を題材にした作品を多く描かれたものと思われるが、ネットでざっと見る限りでは、ともに桃の花咲く枝に止まる文鳥を描いた『春暖』『春光』が確認されるのみだった。
ネット上の画像は小さいし、画質も良くないので、細部がわからない。実物を見る機会は当分無さそうで、第一、博物館の特別展もそうだが、狭いところに大勢がうろついているところで、ゆっくり細部の観察など難しい。ざっと全体的な雰囲気を見て、興味のある展示物を数分間だけ入念に観察して、図録を買って、さっさと帰るのが作法と心得ている。・・・ああそうか、絵画の展覧会にも図録があるはずだ。そこに気づいてしまったため、上村画伯と牧画伯の文鳥作品が載っている作品集なり展覧会の図録を探し始めたのであった。
しかし、図録探しは容易なことではなかった。どの作品集なり図録に、文鳥を描いた作品が載っているのかわからないのだ(掲載作品名くらい公開すべきではないのかと・・・)。紆余曲折があり、とりあえず上村松篁画伯の『春暖』は長野県の北澤美術館が所蔵していることが分かったので、そこの作品集(『北澤美術館所蔵日本画名品集』)を入手した。それほど大きな図版ではないが、『春暖』は確かに載っていたし細部も堪能できた(背表紙などにも使用されていた)。資料的に文鳥部分のみを抜き出しておこう↓。
「うーむ。向かって左がオスで右がメスだな。胴体に薄く白い点あるように見えるのは桜文鳥の表現だろう。全体のかわいらしい雰囲気とは別に、クールで厳かな表情だ。芸が細かいなぁ・・・」
当然絵画は作品全体でも楽しむもので、私のように文鳥部分にしか目が行かないのは邪道だが、関心を持つ取っ掛かりは何でも良かろう。とにかく、上村画伯は確かに文鳥に精通していたことを、文鳥マニアの目で納得したのであった。
次は牧進画伯だ。しかし、間違いなく文鳥作品を展示した展覧会を開催し、図録も存在するはずの成川美術館は、決済方法を「現金書留」としていて、電話で図録の残部を確認する気が失せた。何しろ、21世紀のネット社会に生息する私の辞書に、「現金書留」などという4文字は存在しない。電子決済が可能な世の中で、口座取引内容をインターネットで確認出来る現在にあって、あのような決済手段を行う理由など、皆目見当がつかない。それを求める人や組織は、いまだに20世紀を生きているだけだと思ってしまうのである。
そこで、今年特別展を開催していた高島屋だ。お客様相手の流通業界で、現金書留など求める馬鹿はいないだろう。その点は問題無いはずだが、博物館や美術館ではない百貨店のワンフロアの一部で開催された展覧会の図録の残部を、百貨店の美術部がどの程度持っているかだ。しかし、開催されたのは今年のことなので、何とかなるのではないか、と思いつつ、日本橋高島屋の相談窓口に、残部があればお売り頂けるように、あつかましくもお願いした(お客様窓口のメールフォームに投稿しただけ)。幸い残部があるとのことで、代引きで送って頂くことになり、それが今日届いたのであった。高島屋はスゴイ、エライ、スバラシイ!横浜高島屋のペットコーナーから小鳥はいなくなってから近づいていなかったが、今後、心して利用しなければならないと肝に銘じたのであった。
これもそれほど大きな図版ではないが、『愛嬌』は確かに載っていたし細部も堪能できた。資料的に文鳥部分のみを抜き出しておこう↓↓。
「うーむ。向かって左がメスで右がオスだな。目が光を反射してキラリと光るところ、特に右の文鳥の個性的な顔つき(頭が大きく目が小さくアイリングの下側が頬で隠れる)がよく描かれている。線描のはっきりした表現とぼかし技法で魅せる現実感は、まさに日本画の極致と言えるだろう。見事だなぁ・・・」
牧画伯の師匠川端龍子画伯の『梅に文鳥』を描いているが(大塚巧藝新社の色紙ページ)、飼鳥の小鳥を描くには、豪放で伸びやかな画風よりも、精緻でまとまった画風が適しているのかもしれない。一方、かわいらしく愛しいものの表現としては、上村画伯の詩的で雅やかな画風も大いに魅かれるものがある。
今後、両画伯の文鳥を拝見できる機会を逃さないようにしたいと思う。