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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2015年03月15日
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カテゴリ:文鳥動向の備忘録
  「ヒナの時から育てたウチのピースケは、私にすごくなついてるんですよ!」的な発言に、私はいつも違和感を覚えている。なぜなら、手乗り文鳥は『懐く』存在ではない、からだ。同じことを言うのなら、「ピースケと私はラブラブなの!」が、よほど正解と言える。
 この件に関しては、このブログでも以前から取り上げているが(2010年06月27日2014年8月17日)、思うところあって再論する。

 懐く(なつく)とは、もともとは馴れ付くで、「慣れ親しむ。慣れて付き従う」の意味だが、手乗り文鳥は、飼い主に慣れて親しくなっているわけではない。動物行動学などの研究でも明らかな科学的な必然として、エサを与えてくれた存在を「親」と見なし、自分を親と同じ動物種と自然に認識するようになった結果、飼い主を親しい同種の生き物として位置づけているため、親しく接してくれるのである。
 つまり、手乗り文鳥は、自分を人間、現生人類、ホモサピエンスと同じ存在と(おそらく無意識のうちに)自己認識しており、お年頃になって恋愛対象を求める際は、自分と『同種』の飼い主が候補となるのは当たり前なのである。だんだんと慣れた結果、恋愛対象とするまでに変化していったではなく、もともと同種と認識しているので、恋愛の候補者になるだけ、とも言えよう。したがって、もし、飼い主と一体一の環境なら、飼い主を恋愛対象にする他ないので、ベタ馴れ状態=恋愛関係になりやすく、もし飼い主に同居する家族などの人類がいれば、その中から、好みに応じて選ばれることになる。徐々に慣れ親しむのであれば、同じじように懐くはずの人間家族の中で、「握り」が許されるのは一人だけになってしまいがちなのは、本来、文鳥は一夫一婦を基本とする生態を持つ生き物で、恋愛対象を一人(一羽)に絞るのが自然だから、でもある。

 文鳥の気持ちなり、「文鳥ことば」が理解できないと悩む人の根本的な問題は、人間と文鳥が違う生き物であるという客観的事実を前提にして考えてしまう傾向を持つからではないか、と私は思っている。文鳥と人間がまったく違う生き物であることは、普通の人間なら幼稚園児でも理解できようが、しかし、その認識を文鳥が共有してくれるであろうか?文鳥は、鏡に映った自分の姿を自分とは理解出来ないし、自分が文鳥という生き物だと誰かに教えてもらうことも出来ないのである。どれほど大きさも姿かたちも異なっていても、それを認識出来ない以上、自分との相違が種類の相違によるものだ、などと考えようがない。
 人間同士でも同じかもしれないが、相手の気持ちを理解したければ、まず、相手の立場をしっかり認識することから始めるべきだと思う。この場合、相手は文鳥なので、人間の人間による人間のための客観的事実のみを前提にしていては、常に主観的に行動する相手の気持ちなど、永遠に理解出来ないはずである。

 最近某書に、「特によく懐いている文鳥は、手のひらにくるまれるのも好きなようです」などとあって、私をがっかりさせた。この文章を書いた人は(誰なのかわからない)、いわゆる「握り文鳥」現象を、より慣れ親しんだ結果と見なしているようだが、果たしてそうだろうか?では、なぜより慣れ親しんだら手の中に入りたがるのだろうか?手の中より、ほっぺたに擦り寄っても良さそうなものではないか?
 その程度の謎は、その手乗り文鳥にとって飼い主こそが伴侶・恋ビトだというその文鳥にとっての主観的事実を前提に考えれば、安易に解けたはずである。人間的感覚で考えても、伴侶と一緒に布団の中でぬくぬくした方が、手をつないで横にいる以上に一体感に包まれて幸福感に満たされるであろうことは想像出来るだろう。さらに文鳥のペアは、繁殖を行う目的を持っており、そのために営巣せねばならず、結果出来上がったマイホームこそが、伴侶とともにあるべき場所と認識するする本能的な欲求を持っているという客観的事実を基にするなら、伴侶と共にある手の中は本能的欲求を充足させる巣そのものに他ならず、文鳥の主観で見るなら、絶好のロケーションなのである(伴侶の体の一部で巣にもなる、実に便利な場所)。
 そうした「正しい」認識(=手の中は巣)を持てば、例えば、覆った手を時折つついたり強く押したりするような動作に対し、気まぐれな攻撃、などと「誤った」解釈をすることも少なくなるだろう。「握り文鳥」君にとって、その時の手のひらは巣でもあるので、営巣のため巣材を押しこんだり突きこんだりするのは、本能的行動として当たり前なのである。

 「懐いた」と言う人間側の主観に基づくあえて言うなら身勝手な尺度では、文鳥の行動は測り難いと思う。それでは、よく懐いているかあまり懐いていないか、飼い主側が感じる程度の差を問題にするだけに終わってしまいかねない。曲がりなりにも、文鳥の気持ちを理解したいと願うなら、文鳥側の主観に立って、その行動を、自己の経験や他人の経験や動物行動学的な(それも初歩的な)所見に照らし合わせて考えてみてはどうかと思う。まずは、その手乗り文鳥が飼い主を恋愛対象にしているか否か、そして恋愛対象とされた場合でも、次に問題となるのは、その文鳥の愛情表現の個性で、文鳥の場合、そっけない態度も有り得るし、それは必ずしも徐々に変わるような性質のものではないだろう。
 「コミュニケーションの積み重ねが、文鳥を賢くしてい」き4歳くらいになると多くのことを理解するようになると、同書では指摘しているが、4年で賢くなるのはむしろ飼い主の方かと思う。文鳥は、最初からよほど賢く行動しているのに、「だんだんなついてきた!!」などとトンチンカンな思い違いをして、素早い若い文鳥の行動を追えずに過ごしてしまったら、文鳥が中年に達して落ち着いてくれないと、気づかない点も多くなるだろう。
 だんだん文鳥がなつくとか、だんだん文鳥が賢くなるとか、文鳥側に進歩を求めず、自分がしっかり自分の文鳥の気持ちを理解して、「文鳥ことば」が話せるように、だんだんと頑張るのが、手乗り文鳥の飼い主に求めたい態度だと、私は改めて思うのである。
 
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押さえる父サカ坊
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押さえない息子キミョー 






Last updated  2015年03月15日 22時14分32秒
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