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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2015年03月16日
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カテゴリ:文鳥動向の備忘録
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 なついた文鳥タネ吉姐さん
 
 夫が妻になつく。そんな用法は、まずあるまい。親戚の子どもとか後輩から、なつかれるといった感じに、基本的には、より年少、いわゆる「目下の者」が、より年長、いわゆる「目上の者」になつくのであって、自分と同格とみなすべき相手と親しくなっても、なつくとは言わない。もちろん夫婦に上下は無いので、なつくとかなつかないの関係には無いのである。
 もちろん、ペット動物は飼い主の「目下の者」には相違ない。しかし、それは人間側の理屈、飼い主の人間としての視点に基づくもので、飼育されているペット動物側の視点とは異なり、ペット側の「考え方」は、それぞれの種の持つ習性によるので、それぞれに異なる。
 例えば犬はなつくだろうか?然り、犬はなつくべき存在と言えよう。犬はリーダーに従って集団生活を送る習性を持つ生き物なので、飼い主をリーダーと見なし、従うことによって幸福感を得ることが出来る。エサを分け与えてくれるリーダーである飼い主が、リーダーらしく振舞う限り、「目下の者」としてなついて当然なのである。
 その他のペット動物では、食べ物を与え、優しく接していれば、やはりなついてくることが多いだろう。しかし、その多くは、犬と異なり、飼い主をリーダーと見なしているわけではない。日々の飼育により、自分とは違う生き物でも、飼い主を自分に有益な存在と認知するようになり、とりあえず信頼するようになっているのである。つまり、徐々になつくようになるのは、一種の共生関係にある生き物として、人間、特に飼い主の存在が位置づけられるようになった、ということであろう。これは、「荒鳥」とも呼ばれる非手乗りの文鳥にも当てはまる。彼らは、飼い主なり人間を異生物として警戒するが、毎日一緒に暮らしていると、警戒感が薄れ、腕に乗る程度には、なつく。
 しかし、手乗り文鳥はそもそも、人間を自分と同種と認識している。なつくも何も、始めから異生物に対する警戒感が無い。あるのは、同種の生き物の中での親疎、親しいか疎遠かだけで、いつも遊んでいれば親しくなるし、かごに閉じ込めて遊ばなければ疎遠になっていくだけである。たまに、まったく遊ばないから「荒鳥」になってしまった、といった話を耳にするが、それは少々勘違いと言える。手に乗らなくても、人がひなの時に給餌して育てれば、手に乗らなくても、人間を同種と見なしているので、「荒鳥」とは異なるのである。したがって、飼い主が変わり、毎日遊ぶようになれば、飼い主に恋愛感情を持つようにもなり、手乗りどころかベタベタの『握り文鳥』になっても、何の不思議もない。それは、突然なついた、のではなく、フォーリンラブしたと心得るのが正解と言えよう。
 
 さて、手乗り文鳥の側は、飼い主を同種の伴侶と見なして恋愛感情を抱いている。 ところが、飼い主の方は、異生物の文鳥がなついてきたと思うだけ。このていたらくで、文鳥の気持ちの何がわかるのだろうか?気持ちキモチきもちといくら考えても、自己中心的に考えるだけで、相手の気持ちなどわかるはずがあるまい。
 「ウチの女房もオレになつくようになったぜ!」などとのたまわって、夫婦生活が継続できるだろうか?なるほど、文鳥に細かな言葉の意味がわからなくて、助かっている飼い主も多いかもしれない。どのように考えても、相手が文鳥なので離婚の危機にはいたらないが、ベタベタに愛しているのなら、なつく、などと上から目線で考えず、人間のパートナー並に考えてみた方が、はるかに文鳥の気持ちに近づけるだろうと思う。





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Last updated  2015年03月16日 22時43分13秒
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