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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2019年01月16日
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 NHKの大相撲中継のアナウンサーと言えば、日本語の言い回しなどろくに知らないのは目をつぶるにしても(ひでえもんだ・・・。昔のNHKアナウンサーなら情けなくて泣く)、社会人になって、たまたまそのポジションになるまで、相撲などまともに観なかったためか、勝負の見方を体得しておらず(さらに、何でもかんでももつれて優勝決定戦になれば良いとか、幼児レベルの発想をしている者が多い)、決まり手だとかなんだとか、どちらかと言えばどうでも良いことを、とても勤勉に学んで覚える人たちばかりだ。もちろん、勤勉に覚えること自体は立派であり、データを提供するのも重要なお仕事に相違ないのだが、なぜかそのようななまかじりの知識だけで解説者気取りで語りだすようになるから、まあ、「イタイ」。
 ほら、野球なら「打った!おおきいぃ!!」などと反射的にわめく実況アナウンサーがいて、鬱陶しいではないか。子どものころから野球中継を見ていたら、打球の方向や飛距離の大まかな予想程度は、バットにボールが当たった瞬間にできるので(そうでなければ守備など出来ないので、少年野球の子どもたちも無意識に反応している。さらに、やかましい応援がなくバットに当たった音が聞こえればもっとわかる。つまり、あの鳴り物入りの応援は邪魔なだけ)、実況アナなどは「にぎやかし」程度にしか扱われまい?
 そう、サッカーなら、パスを出された方向をちらっと見れば、誰へのパスかくらい、ポジションを記憶していればわかるものだ。ポジションがありシステム化されたスポーツではそれが当たり前だが、絶叫したいだけらしい実況アナウンサーは、あさっての位置にいるはずの選手名を連呼して、お茶の間テレビ観戦中のサッカーファンを興ざめさせる。結果、そのような実況などは有害なので、音声を消すはめになる。
 といった具合に、実況アナウンサーとは、いかに勤勉で人間性が素晴らしくとも、そのスポーツの観戦については、お茶の間の観客に遠く及ばぬシロウトであって不思議のない存在に過ぎない。したがって、NHKの相撲担当アナウンサー以外は、何年実況しても、そのスポーツの専門家として振る舞うことはないし、そうしたところで、誰もそれを認めてくれない。
​​ ところが​なぜか、大相撲の実況経験者だけは専門家気取り​になり、現役時代は隣にいる口の重い連中を差し置いてズレた解説をしはじめる。さらには、定年退社してもなお、何やら相撲のオーソリティとして振る舞うから、まったく、笑止千万であり、見苦しい。​​

 さて、稀勢の里は、自分の実力の低下を認めることもなく居座ることで、横綱の地位を汚し続けた挙句、ようやく引退した。もちろん、稀勢の里は、久々の日本人横綱であり、アスリートとしてして、してはいけない無理をしてまで連続優勝した功労者だ。無責任な一般人が同情するのは当然と言えよう。しかしながら、横綱とは特殊なものだ、との大前提を知らずに同情を語るようでは、専門家に値しないのも当然なのである。相撲の専門家を自称しながら同情論を展開するなど、相撲好きの好々爺が勝手な思い込みでする戯言にしかならないのである。
​ その専門家気取りの人々は、稀勢の里以外の横綱に対して、横綱は神に等しいどころか、土俵上では神でなければならないので、負けてはならない、といった主張をしていなかっただろうか?同情もヘチマも人種もそれまでの行いも、『負けない』の前では毫の意味も持たない。それはそれは、実に非情であり人情に欠けていると思うが、それも当然、何しろ『神』なのである。​神様が人から同情されてどうするの?​​したがって、同情されるような状況になったら、ただちに身を処さねばならないのが横綱の地位なのである。ところが、専門家気取りでその実は感情論が先行し、モンゴル人におんぶにだっこの相撲界の体たらくを棚に上げ、日本人の身びいきで平然と人種差別意識むき出しで恬として恥じない好々爺連中が(嫌なら日本国籍所持者限定にすれば良いだろうが!モンゴル出身横綱が稀勢の里と同じことをして同情してやれるのか!!)、甘やかし、結果、この醜態だ。稀勢の里については、今さら辞めたことよりも、むしろ、そうした連中の期待に応えるがため、愚かにも実力の伴わない地位に固執せざる得なくなった点が、実に気の毒ではないか!

 優しさが時として人を潰すこと知らない、無責任な人たちによる空疎な同情論が多い中、産経新聞奥山次郎氏の​この記事(「稀勢の里がつくった負の遺産」)​は、実に勇気があって素晴らしい。
​「往生際の悪さを感じさせたここ数場所の土俵が、日本人が抱く横綱像を根底から揺るがしてしまったのもまた事実だ」​
 ​その通り。「横綱の名に恥じぬよう精進します」とは、横綱昇進の彼自身の口上だが、口先だけで理解していなかったと言わざるを得ない。おそらく真面目で他人の期待に応えようとする性分なのであろう彼は、一部の専門家気取りのメンタリティに踊らされ、横綱の名を辱しめてしまったのである。

 まったく、かえすがえすも残念無念で、実に気の毒。引き際を誤らせた人たちも猛省すべきだろう。





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Last updated  2019年01月17日 12時23分33秒
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