カテゴリ:あの頃のこと(アサヒ退院まで)
1週間ほど前にも書いたのですが、去年の今日が妻が緊急入院した日。
アサヒの寝顔を見ていると本当に1年は早いなと思います。 去年の今頃は妻の緊急入院と、 私とカズの当面の生活を妻の実家に移すために、 着替えやカズの薬や生活用品をまとめてました。 当時の事を思い起こせば・・・ まだ私は、妻の病院の産婦人科検診に付き添っていなくて、次回の検診には 一緒にいってエコーで胎児(アサヒ)が動くところを見せてもらおうと思っていました。 妻は、安定期に入って少し落ち着いて来ていました。 赤ちゃんが生まれると動きにくくなるし、 寒くなるとカズの喘息が酷くなることもありえるので、 その前にカズを東京ディズニーランドにでも連れて行ってやろうと、 翌日には私も仕事を休む予定でした。 ディズニーランドに行く前に安心するために妻は定期健診の予定をいれていました。 その定期健診で緊急入院になってしまったのですが、思えばこのとき定期健診の予約を 入れてなかったらディズニーランドで破水・出産して助からなかったかも知れません。 本当にラッキーだったと思います。 この定期健診の時点で既に子宮口が少し開いていて体胞が出てきてしまっている 状態だったのです。このとき、妊娠23週でした。 妻からの緊急入院の電話では妻の口調はしっかりしていたし、 緊急入院といわれても病院に着くまでは深刻さが良く分かっていませんでした。 しかし、ベッドに寝かされて点滴をしている妻を見て少しずつ、予想よりかは 深刻な事態だと感じていました。 定期健診には当時2歳前のカズも一緒についていっていました。 当時のカズはすぐ、「抱っこ~」とせがんでいて妻が良く抱っこして歩いていました。 (今もあまり変わりませんが。) しかし、妻がベッド脇に座ってカズをひざの上に座らせていても 看護婦さんには相当しかられたらしく、私が病院に着いた時には カズは駆け付けてくれたババ(妻の母)に隔離されていました。 そして産婦人科の主治医の先生の説明を受けた頃にはさらに状況はよくないということ を思い知りました。 お医者さんからの説明だと子宮口が少しあいてしまっても23週ぐらいだと 赤ちゃんの頭もかなり小さいのですぐ出産になってしまうこともあるということでした。 (その確率も20%ぐらいだといわれたと思います。) そのため、安静状態にして24時間子宮収縮抑制剤を投与。 炎症反応が出てきたら抗生剤を投与するということでした。 当面は27週から28週を目標にしてこの週数になったら他の病院に転院するとの説明でした。 かかり付けの病院にもNICUはありましたが、30週以降の赤ちゃんしか見れないとの説明でした。 それでも最初の2日ぐらいはトイレや洗面は、洗面所まで歩いても良いとか 御飯も普通にベッドの上で起き上がって良いということだったので安静度は重くなかったように 思います。 この日からカズは病院から直接妻の実家に行く事になり、私もカズと妻の実家にお世話になりました。生活パターンはこの日から大きく変わる事になりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月09日 00時09分57秒
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