健康お宅になる!このHPを立ち上げるに至るまでには経緯があります 心と身体の健康!を考えだしたきっかけから 23歳の時(かれこれ?10年前) 私には夢がありました。 「夢をひとつ、愛をひとつ、あなたの大事なものを探しに来て下さい」 3坪の小さな小さなお店を開店しました 人形作りや、小物作りをしながら「詩とメルヘン」を愛読しながら夢見がちな乙女でした。 東京の浅草橋の大きな問屋さんに出入り出来る様になり、月に1~2回 仕入れに独りでいくようになりました。 開店の準備のため問屋さんに行った帰り、2時間半の間にそれが起こりました。 頭痛です。半端でない、痛みと吐き気に襲われ明日の事も判らない 状況に陥ってしまいました。 幸い鎮痛剤で治まることが判り、仕入れの日に必ず夜中に目が覚めるような 頭痛を鎮痛剤で対処していました。 結婚して、妊娠中は頭痛も無く、収まっていたのですが、子育て半年目 に又忘れかけていた頭痛が始まりました。 母乳で育てていたので、薬を飲んで良いものかと悩んだ末産婦人科へも行って相談しました。 耳鼻科、眼科、最終的に神経内科に診察に行って緊張性頭痛と診断され 血管の収縮を緩和する薬を飲む事にしました。 2週間後位に妊娠している事が判り、又も思い悩む事態に陥ってしまいました。妊婦にとってほとんどの薬は副作用として奇形児、等の危険性を含むと 言われてしまいました。 思い悩んだ末折角授かった命を危険性をも考慮した上で受け止めていく事に したのですが、やはりお腹の中で育つ強さが無く、流産してしまいました。 その後計2回流産してしまい、もう子供は産めないかな?と思い始めてた頃 妊娠して第2子誕生となりました。 長女と4歳離れた長男を育てる中、長女は元気にすくすく大きくなり只1つ アトピー性皮膚炎はひどくてあちこちの皮膚科に通いました。 長女のアトピーについては次回に書かせてもらうつもりです。 長男は3670グラムで生まれ、コロコロとした赤ん坊でした。 6月生まれで4ヶ月目頃、気候がひんやりして来た頃からよく風邪を引きました。とうとう3種混合のワクチンも受けられず、肺炎を起こしてしまうことがたびたびありました。 翌年冬は悲惨な状態で、1ヶ月に1回は入院しました。 入院回数は、後で数えたら20回を越しました。 お正月を実家で過ごさせるために、病院から預かる様な形で連れ帰った事もありました。お正月が終わる頃、又風邪を引き病院に行くと先生から「お帰りー」なんて言われてしまいました。(-_-;) 気管支炎~肺炎~喘息 そんな病名がその都度ついて1週間から10日の入院が余儀なくされました。 よちよち歩きの頃から点滴台を転がしながら廊下を歩きました。 肺炎で入院していた時、はしかが流行り院内感染し退院した2日目に今度ははしかに罹り高熱のため又違う病院に入院しました。 この辺までは数えられたのですが、その後入院回数は判らなくなってしまいました。 小児喘息と診断されてから、夜中の発作に口の聞けない息子は、おんぶ紐を 私の所に持ってきて病院に連れて行ってと訴えます。 発作は大体夜中に起こる、息子をおんぶして車を運転して、病院で吸入してもらってくる日々がかなり続きました。 子供の涎は健康のバロメーター、息子はちっとも涎が出ません いつになっても小柄、3歳から保育園に行かせましたが、他の子供から比べると95㎝の洋服を2,3年着ていたような気がします。 小学校に入学するまでが本当に大変でした。 子供の健康を管理できない、だめな母親で、具合が悪くなるとおろおろして病院に駆け込んでいた子育てをしてしまいました。 (その1) 続く |