熊谷たみ子さん~
≪卓上四季≫首都圏でジャズ歌手として生きてきた。「私はアイヌ民族」と明かし「アメージング・グレース」をアイヌ語で歌い始めたのは50代後半の2009年春。末期がんで余命1年と宣告された後だった。その熊谷たみ子さんが年明けに帰らぬ人となった。 アメージング・グレースは、迫害された米国の黒人達が歌い継いできた神の恵みへの賛歌である。奴隷貿易にかかわった半生を悔いて牧師になったジョン・ニューートンが作詞した事でも知られる。 十勝管内本別町で生まれ育ち、集団就職で上京した熊谷さんは幼少時の差別体験を抱えていた。「歌のルーツと、自分達のすんでいる所を追われたアイヌの歴史が似ていると思った。『もっとやることがある』と言われた気がした」と、歌に使命をもらった。 東日本大震災が起きるとCD「大地よ」を制作して遺児の支援に乗り出した。<その痛みに 今私達残された多くの民が しっかりと気づき 畏敬の念をもって 手をあわす>。 家族を亡くしよりどころを失った子ども達への思いがそこにあった。 「被災者の境遇もまた共通すると感じたのでしょう」と「大地よ」の詩を書いたアイヌ民族の古布絵作家宇梶静江さんも言う。 余命宣告から4度目の正月まで持ちこたえた。それでも後ろ髪を引かれる思いだったろう。多くの被災者が今もなお帰郷できずにいるのだから。2013.1.15 道新より 釧路に居た頃、観光地の売店で働くアイヌの人を見かけた事がある。市内の春取湖はんには貝塚があった。そこに 住んでいたんだなぁ、と思うだけで彼らについては考える事も無かった。北海道の原住民だったのに、明治になり和人達が入って来て 失う物も多かったのだと思う。 彼女のCD聴いてみたくなりました。