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カテゴリ:スポーツ
2008年 1月 2日にNHKで新春スペシャル対談
“野球”と“ベースボール”~ヒルマン監督・バレンタイン監督~が放映された。 監督として一番何がしたいか、よきライバルでもあり、日本野球に情熱を傾けた2人のビックな対談が行われた。ビジネスにおいても参考になるので紹介する。 トレイ・ヒルマン44歳 2年連続でパリーグを制し、2008年、4年連続最下位と低迷するカンザスシティ・ロイヤルズを監督として指揮する。 レンジャーズの監督だったボビーを見ながら育ち、母は世界一のボビーファンと言ってもいいくらい大ファンだったから、自分も影響を受けたという。特にあの情熱と常に前向きな彼の姿勢に。 バレンタインより13歳年下で、レンジャーズの地元テキサス州に生まれる。 大学を卒業後1985年グリーブランド・インディアンズ傘下のマイナーチームでプレーする。 ところがメジャーに昇格することはなく、3年間の短いプロ野球選手に終わりを告げる。 しかし、27歳の若さでニューヨーク・ヤンキースのマイナーAの監督として就任。その後、AA、AAAの監督としてステップアップし11年間の経験を積んで2002年テキサスレンジャーズの育成部ディレクター兼フィールドコーディネーターに就任。 そして、その年2002年のオフ、39歳で日本ハムの監督として契約。マイナーリーグでの実績が認められてのものであった。 見事花を咲かせたのが4年目2006年のこと。札幌の地で44年ぶりの日本一に輝いた。 信じられないで有名だ。 しかしこの年のシーズンオフ、主力選手3人がチームを去るという事態が起きた。中心打者小笠原は巨人へ。リリーフエースの岡島は大リーグのレッドソックスへ。そしてチームの要、新庄は引退した。 しかしダルビッシュや稲葉の活躍により、昨シーズンも優勝。2年連続4度目の日本シリーズ出場を果たした。 これでバレンタインの優勝を含めて、アメリカン人監督が3年連続パ・リーグの優勝を成し遂げたのである。 ”信じてました””北海道の皆さんは世界で一番です”という言葉は記憶に新しい。 実はヒルマンはシーズン中の9月、家族とともに過ごしたい。アメリカで子供たちの父親としての責任を全うしたいと退任を表明していた。 そしてその後、2007年10月にカンザスシティ・ロイヤルズからの要請を受けて、監督に就任することになった。 日本での実績を高く評価されてのこと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年03月15日 12時02分31秒
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