2008/11/11(火)07:52
中国・広州とは
広州市は750万人。中国全土の3割を占めるファッションの町だ。
スーツケースをもっている人を見かけるが服の買い付けだ。
中国ファッションの流行はここ広州からはじまるといわれている。
最近は日本の業者も買い付け。バッグやくつも豊富で安さと新しいデザインが人気。
国際的な洋服の交易地となっている。
広州市沙面には洋風建築が多い。
1861年以降、イギリスとフランスを中心とした欧米列強の国々の租界地となり、領事館や銀行などが相次いで建てられていった。
洋館は大切に保存され、100年以上たった今でもオフィスや住宅として使われている。沙面近くの黄浦港には交易の際税関の役割を果たした場所があり、現在当時の歴史を物語る資料館となっている。
入り口には広東第一の港と刻まれている。
様々な物資が取引されていた。
イギリス人が持ち込んだ銀と交換され、広州から大量に輸出されたのが、中国特産のお茶と陶磁器だった。
この頃を境にイギリスでは紅茶の国になった。
ビジネスの街広州、そのエネルギーは100年以上も前に育まれていた。
海が育んだもう一つの文化といえば、海の幸のグルメだ。食は広州にあり。
海鮮料理のレストランが人気だ。生きたままの食材を自由に選ぶことができる。
かに、チョウザメ、ふぐ、伊勢海老、ホタテなど大量に仕入れることにより価格を抑えている。コックの数は200人いる。1000種類以上のメニューがある。
めだかの唐揚げやホタテガイのチーズ焼きなど。
新鮮な魚介類があるため刺身もよく食べられている。
中国では広州の人は空を飛ぶもの、地上を歩くもの、山を登るもの、海を泳ぐもの食べられるものはすべておいしく食べるというふうに言われている。