2006/10/17(火)17:33
一人、杉本健吉の絵に会いに行く。
一人でTVを見ても、
PCを触れても、
何となく楽しくない。
むしろ、いらいらとしてしまう。
昨日、今日と、そんな日だった。
だから、思い切って、電車に乗り、
知多半島にある、美浜の美術館に足を運ばせた。
電車で、片道1時間30分の道のり。
同じ静かなら、家の中よりも、
美術館の中に身を投じた方が良いと感じたのだ。
都心を抜け、工業地帯を通り、だんだんと田畑や丘が見える頃、
1時間に3本しかない単線の駅を降りる。
久しぶりの無人駅だった。
美術館までの道のり、
閑静な住宅地を抜ける。
駅周辺には、自然と家以外何もない。
コンビニや自販機すらない道を歩く。
風を感じ、
小鳥のさえずり、
落ち葉が舞い、
落ち葉を踏む音が耳に心地よい。
今日は、さまざまなノイズから逃げたいと思った。
電車に乗るときだって、ヘッドホンをつけなかった。
周囲の音に気を配りたかった。
電車の揺れ。
電車の音。
車掌のアナウンス。
流れる景色。
それらは、みなリアルで、
開放的だ。
いつもヘッドホンで音楽を聴き、自分の殻に閉じこもりながら
電車に乗っていた時とは違うリアルさ。
緑を純粋に綺麗と感じた。
本当に小さな美術館にも関わらず、
3時間も絵を見入ってしまった。
小高い丘から見える、海の景色の美しさ。
杉本健吉の墨絵、仏画が、人の心を清くさせる。
悶々と考えに耽ったときは、
一人、家に篭るよりも、
自然や社会の中に身を投じ、
そこで一人悩めばよいのではないか。
このように時には、心が洗われる時だってあるのだから。
1+1の関係にも、美があるかも知れないけれど、
1+1のすきまや行間にも、美を見出すことが出来る。
とらわれない自分でありたい。
「ほとけ様」の前で、そう思い、願い、祈ったのだ。
そうしたら、杉本健吉が、
「常識から幻想は生まれ難し」と、言ってくれた気がする。
今日は得がたい体験をしたと思った。