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2006/10/22(日)00:30

コギト・エルゴ・スム / シンプルに生きることは是か非か

コギト・エルゴ・スム(cogito,ergo sum)は、 デカルトの主著「方法序説」の中で出てくる言葉である。 「我思う。故に、我あり」 どんなに物事を否定しても、否定しきれないものがある。 それは自分が「疑っている」という自分が存在するということ。 元々、人間とは考える生き物なのである。 どんな些細なことであれ、考える人間である。 だが、俺はかなり考えすぎるタイプのようだ。 家内に言わせると、通常の10倍、考えない人の100倍は考えているそうだ。 そういわれたら、そうかも知れない。 でも、ほとんどが無駄な知識だったりするんだよね。 哲学、音楽、芸術、文学、語学・・・ これが今の実業務に反映されるかというと、 直接には関係しないかも知れない。 レアなケースとして、Javaなどのオブジェクト指向プログラムで 開発をする際に、プラトンのイデア論を頭に入れておくと、 クラスの概念が分かりやすくなるとか、 哲学を学ぶことで、人生の生き方について、指針やひらめきを得る程度。 だから、人によっては馬鹿にされやすいのだが、 こういう知識だって大事なのだ。 真剣にこういう文学論、哲学や、宗教、思想について、考えて、 自分の生き方を決めていくというのも、まったくの無駄ではないと思う。 俺は考える、考えすぎるほどの人間だ。 それを放棄することになったら、俺は俺で無くなるんだろう。 もちろん、そういった考えをすることが面倒くさいと思う人もいるだろう。 同じ時間ならもっと有効なことが無いか考える人もいるだろう。 それはそれで否定しない。でも、自分はそっちのベクトルには行かないのだろうと 思っている。俺は、「考えるということ」を否定しない。 すべて紋切り型にして考えることはとても楽。だけど、真剣に考える場を作らないと人の脳はいざと言うときに反応してくれない。 まず、頭に残らないはずだ。例えばハリウッド映画はとても分かりやすい。 主人公や悪者がはっきりして、テーマもはっきりして、エンディングまで決まっている。まるで水戸黄門のような状態。それはそれで、安心するのかも知れないけれど、 その映画で何を得たか?というと疑問が残る。2時間を娯楽により消費したといえる。 2時間あったら、何を考えることが出来るのか。自分にはさまざまなことを考えることが出来るだろう。 コギト・エルゴ・スム。自分のこうした特性を大事に持っていたい。 自分は一生を掛けて、哲学を学んで生きたいと思う。 当然、仕事をして、ドイツ語を勉強しながら。 それが自分に託されたタスクだと思っている。 ========================================================================== シンプルに生きるということでも、いくつかパターンがある。 深く考えた結果、シンプルがBestだという人と、 単純に考えたら、いいんじゃない?っていう人。 自分はどちらか選ぶならば、前者だろう。 ただ、簡潔に表現するというスキルを持つのが難しいが。 ただ、いえるのは、俺は単純に、好き、嫌い。面白い、つまらない。 頭いい、頭悪い。イージゴーイング、ディープ・シンキング、 ロック、ポップス。オタク、非オタクというのを簡単に定義して、 物事をシンプルに決め付けることは好きではない。 世の中そんなに簡単じゃない。 簡単に決め付けることは簡単、その後のいき方も簡単だろう。 だけど、どこか落とし穴に嵌ったときに、その分け方で、納得できるか? 人間はそんなに単純で、ピュアじゃない。 言わないだけで、誰でも持っている、「えげつない」部分。 それを覆い隠して生きているはず。 「えげつない自分」が居るのを承知で、いい人の格好をしていないか? こいつはオタクだから、一生付き合わないとか、馬鹿だ。とか思っていないか? そういうステレオタイプ的な枠決めはとても危険な行為なのである。 それを国家でやったら、いろんな意味で流されてしまうのだ。 だから、シンプルに考えるにも、必要性があるときだけ用いる。 基本的には、じっくり考えて、本質を理解したい。 知らない人でも、嫌いな人でも、もう少し話を聞いたら、 分かり合えることがあるかも知れない。そこを探るかどうかが問題だと思う。 逆に簡単に、見た目とか話し方などで、嫌いって言われたら、ショックだと 思わないだろうか?まぁ、腹くくるしかないのでしょうが。 俺はそういうところでさえも、考える人間なのである。 他人に対するアンテナが大きいから、余計に敏感かも知れない。 俺は一生、考えながら生きるのだろう。 それが俺の人生における意味なのかも知れない。 もし、神がこの世にいるとしたら、俺に、人生の意味。価値とはなにか? 生きるって何か?という、抽象的、形而上学的、倫理的意味などを考える 時間を下さったのだろう。 今、俺は生きるという、極めて原始的な、欲望に突き動かされているのだ。 本来の意味で生きる。労働し、金を貰い、それで食費など生活費にあて、 税金を払い、残りで夫婦で楽しむ。 こういった本当に基本的な生活基盤を作るということが、 今の日本における、「生きる」と言う意味なのであろうし、 死を見つめていた、絶望を感じていて、這い上がってきたからこそ、 生きる意味、大切さをこれまで以上に痛感するのだ。 無駄に生を浪費しないようにしたい。貪欲に生きたい。 そのためには、簡単に物事を決め付けないで、良く考慮してアクションを起こしたいのだ。

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