ジャラン・ジャラン・パインビレッジ

2006/10/23(月)18:35

せめて、人間らしく

俺は、昔から飲み込みが悪いようだ。 小学生の頃、九九を習ったばかりは、 まったく覚えることが出来なかった。 が、数ヶ月くらいたったころに、 ふと、覚えてしまうのだ。 まるで、食物を消化するように、 ゆっくりゆっくりと胃の中のものを溶かしていって、 体に栄養が届いたころに、まさに「腑に落ちる」のだ。 ほかのことも、そうだった。 その頃、無知で分からなかったことが最近になって分かるようになったりする。 大学生の頃、哲学科だったはずなのに、 哲学が分からなかった。 何を言っているのか、哲学者の意図がみえなかった。 鬱になって、「生死をさまよう」生き方をして、 やっと、哲学のエッセンスが少しだけみえるようになった。 心の機敏についてもそうだ。 先日、10年近く振りに、家内とカラオケに行ったが、 家内が歌った、松田聖子の「瞳はダイアモンド」の歌詞を見て、 泣いてしまった。なんて良い歌詞なんだろうと。 20年以上前の歌詞、その頃はなんとも思わなかった。 でも、今、この詩を見ると、なんて切ないんだろうって 涙が出てとまらなかった。 大学のゼミの専任教授のような、熱狂的な聖子ちゃんファンではないが、 初期の松本隆が作詞した曲は聴いてみたいと思った。 鬱を発症して、5年以上経つ。 やっと、笑い、泣き、悲しみ、怒り、 そう言った人としての感情を表すことが出来るようになったのだ。 昨年までは、こんなに表情豊かな自分ではなかったはず。 先日も、カウンセラーから、初めてお会いしたときよりも、 表情が豊かになり、姿がはっきりしてきましたね。と おっしゃってくださった。 だんだん、人間の心を取り戻しつつあるのだと、 心からうれしく思っているのだ。 俺は、心を取り戻すのに、5年の年月が必要だったのだ。 不器用なのかも知れないが、ようやく「腑に落ちた」のかも知れない。

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