この今
たとえば店舗の売り場。今、この現場が地域や消費者との接点、過去と未来との接点を持っている。今という「点」は、独立した点でなく未来の目標を得るために、そこから今に向かって下ろす線の始点である。また一方、過去を振り返るときの過去に下し、今と過去を結ぶ線の起点である。今は、また過去の線の切断点であり、過去と未来を連結している点でもある。こう考えると、「今」がおぼろげだがわかってくる気がする。「今」を深く考えることの重要性もわかってくる。では、この「今」、何のために何をしなければならないか。昨日、すでに答えは記したが,もう一度振り返ってみたい。まず、考えて見たいことは、この「何の」と「何のため」の「何」は、過去、今、未来、この3つの内のどこにあり、どこからやってくるのか、ということである。まずわかることは、今ではないということ。今というその表出された点だけで判断してならないことだ。今のこと。たとえば、その時には多くの人々が、評価し賞賛された経営者がこの今は頓挫、悲惨な形で、消えているといったこと。経営支援を生業にしている私が、なぜこんなややっこしいことを考察しているかと言えば、あの「全体最適化と部分最適化」の本質を押さたいがためである。これをきちんと押さえておけば、駄目になる企業、失敗する人の思考に、事前に待ったをかけて、不幸を減らすことができる、という私の個人的願望もある。今の売上を考えて、ことをなして輝ける未来を暗くした、といった事例の、なんと多いことか。そのことはまさにその折の「是」とした判断が、未来が今に向かって流れてきて、この「今」になれば「非」であったということだ。だから、この今考える事の中心課題は,関心が少なくとも、この今であってはならないのだ。そうしたことが、ぼんやりとだがわかってくる。では、過去か。過去のことあれこれ考えるのが、この「今」の考えるべきことなのだろうか。 続く