奔るジャッドンたのうえ、追っかけ帳

2006/05/01(月)08:20

高い、頑丈な垣根を作っているような

経営よもやま話(84)

GWの初日。事務所の大掃除。書類を捨てたり、本棚を整理したり。ICコーダの録音整理もその一つだ。 「○○さん、おじいちゃん、辛いもんいけんとだったな。これだったらいいよ。塩分30%落としとっとよ。お大事な」。  「ありがと。うちのじいちゃんがね、あんたとこのおいしいって」。  テープから流れてくるこのせりふは、以前、小倉の旦過市場で、レコーダーが拾ってくれたものである。     売る人と買う人の区分けのない女性達のやりとりが、商いのなんたるか、と伝えているようで、小倉から帰宅して気づき、えらく感激したことを思い出している。  そのことを、当時担当していた鹿児島新報のコラムに掲載したことがある。  私の思い入れとは裏腹に、読者からのなにの反響もなかった。、  こうした双方向のコミュニケーションは人間的な交流や和やかさを生むとともに商店が得る情報、とりわけ個々消費者の知識や情報も増えていく。また 顧客も自分に関心を持ち、自分をもてなしてくれるお店に足を向けたがっている。と確信している。  以前と比べても経営者が勉強するようになったという。本屋にはおびただしい経営書が並んでいる。セミナーも然りだ。主催者が集客に苦労しているという話をよく聞くが、それはセミナーや講演会の頻度がおびただしく増えた証でもある。  そのこと自体は、喜ばしいことだ。 だが、反面、生活感、日常性、現場から学ぶ、得る、という視点、姿勢が軽視され、疎かになっている気がしてならないのである。  経営とは、商いとは、情報とは、知識とは、と問うてみた場合、日常の生活、商いの現場から、切り離して考えるものなのだろうか。  この点では、今や商店街の中のお店も、郊外の大型店と大差はない。日常性のない空間で、生活を共有し合っている、といううことがないから、売り手と買い手に共有するものが乏しいから、おもてなしですら画一で、どこへいっても通り一遍。自販機、自動ドアのごとく、一方通行の言葉だけが飛び交っている。どこへいっても、差別化、個別化、理念、戦略、等々日常では滅多に使われることのない、諸費者には無関心な「言葉」が、飛び交っている。    最近の商人を見ていると、消費者との間に一生懸命、高い、頑丈な垣根を作っているような気がしてならない。   

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