奔るジャッドンたのうえ、追っかけ帳

2007/02/13(火)18:19

国会中継から、読む

経営よもやま話(84)

   今日は、国会中継をやっている。 前政権と比べて際だっているのは、野党の質問に対して与党側の曖昧、不透明な答弁が多くなっていることである。 前政権以前の元に戻ったという感じがしてならない。もちろん野党の質問内容が、全部正しいといっているのではない。 だからこそ、ぼかして答えてはならないのである。なぜならぼかし不透明さを浮き彫りにした答弁を引き出すことが、野党の狙いであるのだから。その意味ではまさに、思うつぼ。 これでは参院選挙、自民、大敗は避けられない。 今、国民の判断基準を、ひとからげでいうと、キーワードは透明性である、と私は思っている。だから、ジマムラ、あるいはシモムラ(かな)副官房長官、例の桜が咲く頃に景気回復といったいい加減発言の尾身大臣の発言など、自民にとってはさらなる大きな痛手になる。 政治家同士の立ち話で、どうして想定問答のペーパーが作成されるとか、しらじらしい。娘は身銭を切って会に通訳で参加、とかいっていたが。身銭を切っても政治献金で元以上の金がはいる。これが政治家の錬金術。とは言いたくてもいえずかばい答弁する沖縄担当大臣。正式な通訳を雇った方が、沖縄にとっても遙かに安上がりのはず。 このように、景気の見方も分からない、採算の計算を出来ない人が、財務大臣などとは、国民として恥ずかしい。 それを「私が参加しなかったら、他の委員もやめるといった」とみえを切る。誰が言ったのか、メディアは調べたらいい。   しかし、やはり総理の答弁に、野党の期待を逆に裏切る形の踏み込んだ明快さがあれば、国民は、つっこんだ方に避難の矛先を向ける。そうした誠実さを前面に出す答弁が伺えないことが、閣僚の、脇の甘い古い体質の答弁を許す遠因になっているのではないか。期待が高かっただけにそれを裏切られたときの国民の反動行動は大きい、とみる。  私は、政治音痴だから、政治についてのことは承知しているわけでない。だから自分の専門である企業を見るときの手法でみて、こうしたことを書いている。 そもそもその企業のことを書くために、キーをたたき出したのだが、ラジオをきいていたら、企業の不透明さの手本は、先生達、と思いながら叩いたため、冒頭から脇にそれた。それで、企業のことへ戻す。 企業がじり貧になる裏には、経営者に見えないフィールドで、このように消費者が背を向けている事実が存在するのである。 そしてこの見えない消費者が、見えるお客をもその企業に背を向けさせる働きをしている。 企業からは見えない消費者も、企業の外では、おなじく消費者である。だが多くの企業は、自分たちが見える消費者にしか関心を持っていないようである。企業から見える消費者にも、見えない消費者にも、企業の動きは見える。もっと正確にいうと、見える部分だけで見ている。 ここが肝心なことだが、だからこそ見える部分少なく、見えない部分が大きい企業は、のっけから不信感を抱き、背を向けている。企業はすべからく、可能な限り、自企業の有り体を見える方向へ持って行くことが、これからの企業の生き残りの条件になろう。人でもそうだ。自分は情報を出さず、人の情報をほしがる人は、人が背を向けるから、情報飢餓に陥る。 国会答弁で、野党の追求を、口先でぼかし逃げる光景(見える部分)が、国会にはいない、国会議員から見えない国民がどう受け取り、それをどう判断か。自明の理である。「逃げているな→やはりなにかあるんだろう→昔の自民に戻ったんだ」。この図式が選挙の結果、「ノウ」、となるのである。 疑惑もさることながら、不透明さ、あいまいさこそ、国民が疑心に思い、政治に背を向ける大きな理由である。これは企業となんら変わらない。

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