奔るジャッドンたのうえ、追っかけ帳

2014/10/20(月)07:01

自と他

内、自分といった一つの存在は、 夥しい他とのつながりがあってこそ、 「ある」と認識される。 それが「存在」ということなのだ。 内と外。繰り返すが、どんな内より外が広大。多い。重い。 しかしながら、いやそうだからこそかも知れないが 人は、内、すなわち自分に重きをを置く。 例えば、政(まつりごと). 民の存在のお陰で、王は成り立つ。 だからこそ、民を主に置いた政(まつりごと).が行われる。 これが、むかし、むかし、その昔、商の湯王がいった 「民ありての王なり」のセリフである。 民主という言葉の始まり、といっていいのではないか。 それが、なんでやねん、と言いたい。 アラブ、マニラ、フィリッピンなどの有り様をみよ、と、叫びたい。 「身内重視」、「身びいき」で、その国の主権者は、 一種の王国を創っているではないか。 そして、その「身内重視」、「身びいき」が理由となり、 必ず滅びている。その繰り返しではないか。 こうしたことは、まさに最初から予定されていた如くである。 「身内重視」、「身びいき」そのものというより、 「内偏重」の強い意識が、外との壁を生み、それで民との亀裂を生む と、言うことである。 「光さん、光さん、あなたの存在がじゃまやねん」 そう言って、影は光を追いやった。 とたんに、影の存在は消えた。 「正常細胞さん、私は頑張って、あなたに勝ちますわいな」 癌細胞が、勝ち名乗りを上げたとたん癌もまた消える。 こうした法則性の存在を知れば、今がどうであろうと、 将来(さき)にはあの北の国が、民をいたわらない限り、 滅びるのは確実。当然ではないか。 また一党支配の国が、買いか売りか、これも一目瞭然。 この今、先を予測でき、まずはずれることはないのである。 自分も然り。組織も然り。企業も然り。 自分の存在は、他の存在。その他との関わり如何。 組織の存在は、他の組織との関わり如何。 それなのに他の組織の侵蝕とは、如何。 企業の盛運は、消費者のお陰。 それを忘れて、企業の論理で頑張って、如何。 如何のさきは、遺憾な結果がまつ。

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