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この日記は、「泡雪の日記」から派生した日記。
始めて、暫くして、自分でも混乱し始めた。 その混乱が、今の思考の停滞を起こしている。 二つに分けた意味は? 以前は、文章は人格と思って居たが、表現を変えて書いたら、「泡雪を違う人格」と捕らえられた事にショックを受けた。 自分なりに考えて、思った。 こちらは、正直な自分の内面で書いている。 ある意味、自分の表現。 に対して、泡雪は、通り過ぎた道筋に、見つけた伝えたい何かの為に書いている。 こちらのページは、「石を投げられそうな事」を書いてしまうかもしれない。 思い上がった自分の意識すらも隠して居ない。 何から見て、思い上がっているか? 完全に一般に人と摺り合わせない合わせない、一個人の体験を書いている。 私は特別、特異な存在。 そうした「優越意識」を隠す事は無い。 或いは、「劣等意識」かも知れないが・・・・。 そもそも、人は一人独り。 それぞれの世界でのドラマを見ている。 貴女のドラマと、私のドラマは変わっていて当然なのだ。 最終的に「自分に納得して死ぬ事。」 以前は、自殺に関して特別意識をしていた。 自分の周りには、自殺した人間がいる。 幸い親戚、縁者には居ない。 「自殺したい気分」は理解できる。 が、偶々私はしないで済んでいる。 そして、出来る事なら「周りの自殺」を避ける事は出来ないか?とも考えた。 今はそれも思わなくなった。 人間は死に方では無いことを、 芥川に教えられた。 最後に今生に思いを残さず、精一杯生きれば良い。 自殺で無くても、事故で思いを残せばこの世に未練を残す。 しかし、その事態は起きたしまった事で仕方が無いから、誰もそのことに触れない。 ただ、自殺だけは自分で避けることが可能な「死」であるから、道徳的に、禁じられているようだ。 芥川の自殺の経緯を見たときに、確かに毒を飲んでいる。 この形が後世に残された作品を読む前に、誤解を与えている。 私は、彼の体験した恐怖を「同じく体験」した者です。 龍之介の場合、母親が、精神病を発症して、「自分の体験」を、 ひとつの結論にしか意味を導けなかった。 幸い私の場合、血縁にそうして者が居ない。 それなのに、過去の記憶を喪失してゆく、病気を体験して、 精神病院体験を多くし、沢山の病状の人を見ることが出来た。 部分的な記憶の欠如が、私のプライドを悩ます事も、やわらげてくれた。 現在、全て記憶を取り戻した時、病気の違いの判るようになっていた。 龍之介は、「不思議な体験」が、神経を参らせ思考の限界に来て、≪尊厳死≫を選んだ。 龍之介は≪尊厳死≫と今後書き直して欲しい。 自殺を一括りにせずに、 他の肺がん脳溢血等と同じように死因を分けて記入して欲しい。 死後の世界を少し書こうと思うが・・・。 母が亡くなった時、身につけていた残留思念から見た世界です。私は死後の記憶をもって居ません。 テレビを見たいので、一旦きります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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