人生は10段変速の自転車みたいなもの
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この一作で名声を得たドストエフスキーの処女作であり、あの壮大な「カラマーゾフの兄弟」に至る第一歩なのです。パッとしない初老の下級官吏マカールと家が没落して一人取残された若い女性ワーレンカの二人が約半年に渡り交換した書簡からなる作品です。 下級官吏のマカールはこれまで貧しいながらもどうにか暮らしてきたが、ワーレンカの身の上を知り、病気がちで貧しい暮らしをしてるワーレンカを見て彼女を援助する。その動機としては彼女を愛するようになったからであるが、この愛情は純粋で献身的なものであり、彼女の幸せのためにマカールはどんな犠牲も払っている。しかし、何れ一緒になりたいという考えさえ持っていない。ただ、ワーレンカが幸せに近くで暮らすことをひたすら望んでいる。 時代背景は1940年代のペテルブルク。題名どおり登場する人びとの殆どが貧乏な時代である。マカールは給与の前借をし、借金をし、部屋代を節約するために台所の片隅に移り住み、ワーレンカにお金を援助し、花やお菓子を贈る。そして、マカールは半分ボタンの取れかかった上着と底の外れ掛かった靴を履き、ろくな食事もせずに役所に通っている。 ワーレンカもマカールに好意を持ち毎日のように日々の出来事や生い立ちについて書簡を取り交わすが、マカールの実情を知り、強硬に援助を断るがマカールには通じない。最後には共倒れになると考えワーレンカは俗物的な地方地主ブイコフのところへ嫁ぎこの話は終わる。 マカールは書簡の中で以下のように語る。 「きみに会うまでは、わたしは独りぼっちで、眠っていたも同然です。この世に生きていなかったも同然です。 ・・・・・・・ また、あの連中がわたしを愚鈍だといいふらしたので、わたしも本気で自分は愚鈍なのだと思いこんでしまいました。ところが、きみがわたしの前に姿をあらわして、この暗い生活を明るく照らしてくださったのです。すると、わたしの心も魂もぱっと明るくなって、わたしは心の落着きを取りもどし、自分だってなにもほかの人に劣らないのだと悟りました。もちろん、きらびやかなところもないし、ピカピカ光ったところもないし、大した品もないが、それでもやっぱり自分は一個の人間だ、心と頭を具えた人間だ、と悟ったのです」 (抜粋) このようにマカールは貧しさの中で、もう一段貧しくなりながらも自信と生きる喜びを得るが、ワーレンカの結婚によりそれを失うことになり、彼の悲痛な最後の書簡でこの話は結ばれている。ある意味で楽観的であり、少しのしたたかさも持ち合わせない純粋なマカールに同情。。。 一方、ワーレンカは金銭的な不自由は無くなるものの、あまり幸福とは考えられない愛情の無い政略結婚を選ぶ。将来的にも病弱な彼女でも食べていけるという理由のもとに現実的な大人の選択をしたといえる。 そのほかにも様々な貧しい人びとが登場し、それぞれに出口の見えない貧しさが鮮やかに描かれている。訴訟に巻き込まれて失職した官吏一家、学問のある息子を神のように崇めて愛するポクロフスキー老人、道端で物乞いをする少年などなど。読者にその貧困の苦痛がヒシヒシと伝わってくる。 「貧しき人びと」は愛やヒューマニズムだけでは決して救うことのできない現実を見事に示した作品だと思う。 新潮文庫【1000円以上送料無料】貧しき人びと/ドストエフスキー/木村浩 価格:460円(税込、送料別) クリックしていただけると幸いです
この一作で名声を得たドストエフスキーの処女作であり、あの壮大な「カラマーゾフの兄弟」に至る第一歩なのです。パッとしない初老の下級官吏マカールと家が没落して一人取残された若い女性ワーレンカの二人が約半年に渡り交換した書簡からなる作品です。 下級官吏のマカールはこれまで貧しいながらもどうにか暮らしてきたが、ワーレンカの身の上を知り、病気がちで貧しい暮らしをしてるワーレンカを見て彼女を援助する。その動機としては彼女を愛するようになったからであるが、この愛情は純粋で献身的なものであり、彼女の幸せのためにマカールはどんな犠牲も払っている。しかし、何れ一緒になりたいという考えさえ持っていない。ただ、ワーレンカが幸せに近くで暮らすことをひたすら望んでいる。 時代背景は1940年代のペテルブルク。題名どおり登場する人びとの殆どが貧乏な時代である。マカールは給与の前借をし、借金をし、部屋代を節約するために台所の片隅に移り住み、ワーレンカにお金を援助し、花やお菓子を贈る。そして、マカールは半分ボタンの取れかかった上着と底の外れ掛かった靴を履き、ろくな食事もせずに役所に通っている。 ワーレンカもマカールに好意を持ち毎日のように日々の出来事や生い立ちについて書簡を取り交わすが、マカールの実情を知り、強硬に援助を断るがマカールには通じない。最後には共倒れになると考えワーレンカは俗物的な地方地主ブイコフのところへ嫁ぎこの話は終わる。 マカールは書簡の中で以下のように語る。 「きみに会うまでは、わたしは独りぼっちで、眠っていたも同然です。この世に生きていなかったも同然です。 ・・・・・・・ また、あの連中がわたしを愚鈍だといいふらしたので、わたしも本気で自分は愚鈍なのだと思いこんでしまいました。ところが、きみがわたしの前に姿をあらわして、この暗い生活を明るく照らしてくださったのです。すると、わたしの心も魂もぱっと明るくなって、わたしは心の落着きを取りもどし、自分だってなにもほかの人に劣らないのだと悟りました。もちろん、きらびやかなところもないし、ピカピカ光ったところもないし、大した品もないが、それでもやっぱり自分は一個の人間だ、心と頭を具えた人間だ、と悟ったのです」 (抜粋) このようにマカールは貧しさの中で、もう一段貧しくなりながらも自信と生きる喜びを得るが、ワーレンカの結婚によりそれを失うことになり、彼の悲痛な最後の書簡でこの話は結ばれている。ある意味で楽観的であり、少しのしたたかさも持ち合わせない純粋なマカールに同情。。。 一方、ワーレンカは金銭的な不自由は無くなるものの、あまり幸福とは考えられない愛情の無い政略結婚を選ぶ。将来的にも病弱な彼女でも食べていけるという理由のもとに現実的な大人の選択をしたといえる。 そのほかにも様々な貧しい人びとが登場し、それぞれに出口の見えない貧しさが鮮やかに描かれている。訴訟に巻き込まれて失職した官吏一家、学問のある息子を神のように崇めて愛するポクロフスキー老人、道端で物乞いをする少年などなど。読者にその貧困の苦痛がヒシヒシと伝わってくる。 「貧しき人びと」は愛やヒューマニズムだけでは決して救うことのできない現実を見事に示した作品だと思う。
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