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中牟礼さんと藤井信雄さんが札幌に来たときの話
中牟礼さんはリハをやりません。 打ち上げで 誰かが、リハやらないのはどうしてですかとたずねると リハでカッチリ、曲をやったら もうやりきった感じで、本番でやるひつようが無くなるでしょ と答えが返ってきた。 スタンダードでも初めて聞いた曲のように出来るだけ 演奏したいのだと言っていた。 まして、今回のように初めて演奏するメンバーがいるときなど 何がおこるかわくわくするそうだ 少しお酒が入って、話もはずんだ頃 スタンダードってメロディ皆知ってるでしょ ゆるされるなら、メロディもいらないと思う。だって まぁ、それはお客さんが許してくれないだろうけど ははははははと笑い飛ばしていた。 おそるべし78歳話が深くて面白すぎる。 又、中牟礼さんは長崎の原爆雲を鹿児島で見た話をしてくれた。 昭和8年生まれだそうだ ギターのプロになろうと思う前は、ゼロ戦のパイロットになるのが 夢だったらしい。 中牟礼さんに、ゼロ戦乗りからギターリストになろうと思った訳を聞くと 早いからです。と答えた。 その早いは、手に入れやすいとかではなく 間違いなくスピード感の話をされていた。ますます深くて面白い話である。 最後に中牟礼さんにだれかが 中牟礼さんは誰かにギターをならったことはあるんですかと尋ねると、 いえ、いませんでした と答えられた このいませんは、師匠がいないのではなく ジャズギターを弾く日本人がいなかったらしい うーーーーーん 面白い。 本当に面白い数日間だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年12月02日 15時41分25秒
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