臥牛山 2020.9
史跡 備中松山城跡 (岡山県中世城館跡総合調査報告2020はこちら) 北側の尾根筋にある雲海展望台用バス回転場から入って、石垣で囲われた大池、鎌倉時代の砦の大松山城跡、近世の神社跡、番所跡、近世の城郭の小松山城と巡れた。1240年から幕末まで都合6百年の痕跡。馬の背ならぬ、牛の背をたどる山城一式だった。雲海展望台前の駐車場は数台分なので、奥の北側の路肩のみ縦列駐車は可と高梁市。雲海の季節はこれから。山中の水利の最大施設。元禄時代1694年に城を受け取った大石内蔵助は、大池について屋根がけと清掃用の船のある様子を手紙に記したと。慶応年間(1604-1616)、備中国奉行の残した絵図では、谷部を堰き止めた池として描かれていると。大松山城跡。1240年、有漢の地頭、秋葉三郎重信が築いたと。北からこの地に進出したのだろうか。底に水がみえる井戸の遺構。他には、本丸、二の丸などのいくつかの平坦地と堀切が残る。臥牛山の最高点。近世に建てられた神社、天神の丸跡。番所跡にある橋、土橋。谷が深い。二重櫓。現存建物。岩盤上に建ち、天守からの避難経路であった可能性もあると。二の丸から。山城で唯一現存の天守と。殿様は、いつもは麓の館、御根小屋で就寝と。備中松山城・小松山城跡はこちら。三の丸、二の丸、本丸。2019.8にほんブログ村