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2014/12/05(金)23:44

都市復興に未来の公益を込めた官民の偉人伝

本(173)

東京都市計画の遺産 越澤明 2014年  防災・復興・オリンピック  国民浄財での明治神宮外苑造営、関東大震災からの復興、東京オリンピックの準備と開催返上、戦災からの復興、東京オリンピックの突貫工事、防災都市造りの半世紀に亘る停滞、木密地域不燃化プロジェクトの始動、東京オリンピック開催準備へと物語は続きまして、東京の都市計画の歴史がよく説明されていました。  連載記事をまとめた本のため、流れが読みにくいところもありますが、過去に込められた志は長く公益に資すること、また、その逆もあることが実証されています。本書で紹介された復興に込められた偉人達の公益の志と、それを実践した業績には感銘します。一方で、防災不備を招いた行政の怠慢には嘆息もでてきます。  関東大震災からの帝都復興事業を成し遂げた、後藤新平、永田秀次郎東京市長等リーダーが、広く都民に語り掛けながら、国際的視点から都市の道路網を構築していたこと、復興後の都市計画の立案者である近藤兼三郎の業績や、残された私宅は「トトロの住む家」と宮崎駿に評されたことなど、面白い読み物です。  この時に、靖国通り、昭和通り、明治通り、環6、7、8の礎が築かれたそうで、都市計画とは百年の計で未来の公益を担うものであることがよく分ります。今年完成した環状2号新虎通りを「マッカーサー道路」として多くのメディアが報道しましたが、これもまた、商業マスコミのうけ欲しさの大嘘であって、帝都復興計画一次案で既に盛られていたとは驚きです。  戦後の復興については、当初の計画と比べて実施されたのは10%にすぎず、そもそも、進駐軍は戦災復興事業に冷淡であったそうです。こんな中、立ち上がった在野の復興事業があったことが紹介されていまして感動的です。  歌舞伎町を造った地元町会長鈴木喜兵衛、中野通りを中心に新井薬師を復興した地元政治家窪田伝吉、中杉通りと阿佐ヶ谷周辺を復興させた地元和菓子屋創業者坂井寅三郎です。やる気のない都にかわり、地元の有志が大計を掲げ、行政を導いたおかげだそうです。  戦時中の延焼防止のための建物疎開地の選定は、復興後の都市計画を念頭になされたのに、敗戦後、都はその空地を放棄してしまったそうです。このため、せっかくの道路整備のチャンスを逃し、防災上の弱点となる木蜜地域を生んでしまったそうです。一方、京都では、建物疎開地を活用し、通りの新設がなされ、復興していったそうです。  1924年明治神宮外苑の競技場の竣工、返上された1940年東京オリンピック、1964年東京オリンピック、それぞれの遺産が引き継がれ、生かされ、また、壊されてきたことがよくわかります。戦前までは志も引き継がれていたものが、1964年東京オリンピック用の都市造りでは、壊したものが大きかったのもよくわかりました。  問題は、2020年までになにをするかで、今大事な時期になるそうです。未完成な都市計画を完成に近づけられる好機だそうです。著者は、これまでの都市計画の歴史をよくよく踏まえて、防災と少子高齢化対応を視点に都市計画をたてて進めていけば、おのずからオリンピックにかなう都市となり、世界から安心してお客を招き入れられると教えてくれます。  固い分野の本と思いきや、近代史と日本人の美徳と弱点を考えさせられる面白い本でした。  

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