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テーマ:私の図書(49)
カテゴリ:本
深海の使者 吉村昭 1973年
昭和17年から20年までに繰り広げられたドイツの最新兵器の技術情報入手ための潜水艦による輸送記録に圧倒されます。100メートルを超え、100人規模の乗員を要する伊号潜水艦、小ぶりながらすぐれた建造技術と最新レーダーを備えたUボート、果敢に実用化された長距離飛行機の活動記録と悲劇が丁寧に披露されます。 それらを駆使してシンガポールからヨーロッパまでの喜望峰を回る大航海の隠密行動に果敢に挑み、絶命していった優秀な技術者や軍人に悲しみがこみ上げます。交戦ではなく、最新技術資料、最新兵器、優秀な技術者、要人、不足物資などの輸送を使命に派遣された人々の戦いが克明に明らかにされています。 伊号第30潜水艦 往復に成功するもシンガポール港にて機雷で沈没 U180号と伊号第29潜水艦 インド独立運動家チャンドラ・ボーズの日本訪問達成、インド洋で移乗 U511号 日本に譲渡のため呉まで成功、邦人要人日本移送 伊号第8潜水艦 往復に成功し、呉まで成功 伊号第34潜水艦 往路マラッカ海峡にて英国潜水艦に雷撃され沈没 U1224号 日本に譲渡のため伊号第8号潜水艦で日本から派遣された50名が操船、 大西洋で米軍護衛駆逐艦攻撃により沈没 伊号第29潜水艦 復路シンガポール着後、日本への帰路バリンタン海峡にて 米国潜水艦魚雷により轟沈 伊号第52潜水艦 往路、到着目前のビスケー湾にて途絶、沈没推定 U234号 潜水艦とジェットエンジンの最新技術を学んだ日本の技術者2名の帰国と 独空軍司令の日本赴任 大西洋上でドイツ降伏となり、米艦に投降。日本人2名は艦内自決 半藤一利の解説によると、吉村昭の最後の戦史がこの小説で、これを最期に戦史を書かなくなったそうです。理由は、生き証人に取材できた率が35%しかなく、戦艦武蔵の時は関係者90%に取材できたことから、関係者がなくなっていることに愕然としたためだそうです。事実を関係者から丁寧に聴取して小説に仕上げる著者の手法から、それがかなわなくなり、戦史の絶筆を決めたようです。半藤一利いわく、潔い戦史の絶筆は「でたらめの歴史や戦記を書いて、それが何になるというのか」との吉村昭の警告ではないかと。 朝日新聞の偽歴史報道などもってのほかの事でしょう。この本の中に朝日新聞がでてきてまして、東京-ニューヨーク間無着陸飛行記録の樹立をめざし、朝日新聞が陸軍に働きかけ、戦況から計画は流れるものの、陸軍と朝日新聞が協力して新型飛行機を開発し、昭和18年シンガポールからドイツまでの要人輸送飛行が実施され、失敗したそうです。機体は優秀で非公認ながら昭和44年まで破られなかった無着陸飛行記録を新京、ハルピン、白城子巡回飛行で達成したそうです。 1971年の吉村昭の「総員起し」の伊号第33潜水艦がトラック港で修理中に沈没したこと、山崎豊子の「二つの祖国」のモデルとなった日系米国人伊丹明もでてきて、興味深かったです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 11, 2015 08:47:31 AM
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