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2021/01/20(水)08:26

造山古墳 2020.10

城(34)

古代、埋め立てられる前の吉備には、吉備穴海があったらしい。陸地には、巨大な前方後円墳がいくつも造られていたと。その内のひとつ造山古墳は、大きさでは、国内四番目で、これより上位の古墳は、大阪にあり、立ち入り禁止らしい。この古墳に葬られたのはこの地の有力者らしく、立ち入りできた。   5世紀前半に築かれ、墳丘全長は350m、写真左の後円部の高さは30m、下の写真の前方部の高さは25.5mと。周囲には、周濠の跡が確認されているらしいが、住宅、農地、馬場に囲まれていた。後円部は、織田勢の備中高松城攻めの時、毛利方の陣となって削られ、曲輪と土塁が残っていた。 前方部は、三段で、高さは下段から、1:1:3の比と。三段目が盛り土で、一、二段目は地山を部分的に利用と。前方部には神社が設けられていた。なぜかこちらに石棺の蓋の一部が野ざらしになっている。 後円部の斜面では発掘作業がなされていたが、本格的発掘調査はまだらしい。備中高松城址は正面方向となり、左の遠方の稜線には、鬼ノ城がみえる。 正面の高速道路の奥に備中高松城址が位置する。最上稲荷の大鳥居の頭がみえた。 前方部の背後にある山の頂上が鷹巣城跡、さらに左奥の山の上には日差山城跡があり、小早川隆景の陣であったらしい。  吉備は、平野部にも山上にも、古墳、城が多く、河川にまつわる逸話もあり、古代から中世、近世の痕跡が随所にあるようだ。 にほんブログ村

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