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わたしのブログ

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2 中国憲法と人権の法的位置づけの変遷

2 中国憲法と人権の法的位置づけの変遷
(1) 中国憲法の変遷
1949年以前は、共産党支配地区(社会主義)と国民党支配地区(資本主義)とにおける、全く異なった法制度が存在したが、蒋介石と毛沢東との支配戦争に幕がおり、国民党は台湾に逃れ、国民党の六法全書は破棄され、それに代わり、1949年9月に中華人民共和国の臨時憲法として、人民政協共同綱領が採択された。
 49年共同綱領の主要な点は、1)国家権力機構を確立・組織し、人民の民主的権利を保障し、革命秩序を擁護すること。2)官僚資本を没収して国家所有に帰属させ、新しい社会主義経済を確立すること。3)土地改革の基本原則を確立し、広範な農民を封建的土地所有制の束縛から解放すること。4)反革命を鎮圧し、国民党反動派の大陸における残余勢力を一掃すること。5)全国の財経工作を統一し、物価を安定し、国民経済を復興し発展させること。6)「三反」(1)、「五反」(2)闘争の展開を保障すること、などが構成されたが、社会主義化が顕著になり、さらに経済構造も大きく変化してきたことから、憲法制定の必要性が必至となった。

【註】(1)汚職、浪費、官僚主義反対
   (2)贈賄、脱税盗税、国家資材の横領、加工・原料のごまかし、国家情報の窃取反対

 初めて、正式のものとして制定された54年憲法の主要な点(1)は、100年余りの中国人民による革命闘争の歴史的経験、及び49年共同綱領の実施の成果に基づいたもので、その構成は、序言、全4章、全106条からなる憲法として制定された。ただ、54年憲法から75年憲法までの20年において、三段階の改正を経ているが、基本原理は、毛沢東の個人崇拝を頂点とし、「政策の優位」、「人治は要るが法治は不要」の法ニヒリズム(2)が台頭し、法の継承性、罪刑法定主義、無罪推定、三権分立、司法独立といった民主主義の基本理念はすべてブルジョア的なものと見なされていた。つまり、法治国家を否定したものである。それについて、大まかなものを下記に列挙する。
 序言は、国家の独立と主権についての歴史、及び民主政治について記載され、社会主義の方向を目指すことが提起されている。
 第1章「総綱」は、国家の性質、人民が権力を行使する基本的方式、基本的政治・経済・文化について、具体的に規定している。
 第2章「国家機構」は、第1節「全国人民代表大会」、第2節「中華人民共和国主席」、第3節「国務院」、第4節「地方各級人民代表大会と地方各級人民委員会」、第5節「民族自治地方自治機関」、第6節「人民法院と人民検察院」から構成されている。
 第3章「公民の基本的権利および義務」、第4章「国旗、国徽、首都」である。
 この54年憲法は、75年憲法改正まで、その期間約20年の中で、三段階の修正経緯がある。その間、毛沢東・林彪の主導時期もあったが、国家主席の地位をめぐり、林彪はその後、林彪事件(1971年9月)により挫折した。
 75年憲法の主要な点は、「四人組」(3)による文化大革命の経験に基づく改正(4)であったが、基本的には、54年憲法と変わらないものだが、全30条に圧縮された。しかし、この憲法は、毛沢東の死去(1976年9月)に続き「四人組」の逮捕により短命に終わった。

【註】
(1) 憲法1条:中華人民共和国は労働者階級が指導し、労働者と農民          を基礎とする人民民主主義国家である。
   憲法2条:中華人民共和国のいっさいの権力は人民に属する。人民          が権力を行使する機関は全国人民代表大会と各段階の          地方人民代表大会である。全国人民代表大会、各段階          の地方人民代表大会、およびその他の国家機関は一律          に民主集中制を実行する。
 竹内 実 翻訳『中華人民共和国憲法集』 蒼蒼社、1991年 33頁より引用
(2)真理や道徳的価値の客観的根拠を認めない立場、また伝統的な既成の    秩序や価値を否定し、生存は無意味とする態度。
(3)江青、王洪文、姚文元、張春橋
(4)改正は全国人民代表大会の議決によるが、54年憲法が規定していた「法   の下の平等」【85条】及び「納税の義務」【102条】が削除されてる。

 78年憲法は、75年憲法の構成を踏襲し、序言、全4章からなり、全60条であるが、この制定とともに国家機構に関する規定が若干改正された。尚、この憲法について、法学界などの論争もあり、改正の必要性が生じ、次期の82年憲法にとって変わられることになった。
 82年憲法は、現行憲法であるが、序言、全4章、138条で構成されている。この82憲法の意図するところは、労働者階級=プロレタリア-トの指導性を確保するとともに、特に農民に対する配慮を行い、多くの人民を国家の主人公として構成することによって、「安全団結」と社会主義建設に対する広範な人民の積極的参加を目指している点が注目される。内容については、従来の順序に修正を加え、権利・自由を重視する立場から、第2章「公民の基本的な権利および義務」、第3章「国家機構」との入れ替えを行い、国家機構においては、「中華人民共和国主席」の節を回復し、「中央軍事委員会」の節を盛り込んでいる。
尚、現在(1999年3月 15回党大会)に至るまで、3回の改正が見られたが、人権に関わる重要な改正は、反革命活動に代わる国家の安全に危害を与える犯罪活動(28条を修正)などが重要な改正点である。
 以上が、54年憲法から82年憲法の大まかな変遷であるが、人権の法的位置づけについては、具体的に後述することになるが、憲法制定の出発点が、共産党と国民党の支配闘争の結果であることから、反共産主義に対する政治支配を許さず、民主主義を排除する体制から確立されたものであることがいえる。只、注意を要するのは、この時期は経済構造の変動に伴い、労働者・農民にとって赤字に悩む国営企業の下で生活苦を強いられており、社会主義国家の存続には、さらなる人民概念の再構成が必要であるという問題が既にあがっていた。

(2) 人権の法的位置づけ
中国憲法及び刑法も、人権を保障した規定は存在する。しかも、内容については、日本国憲法に規定してある、自由、平等の内容は謳われている。この内容については、8.資料篇の【憲法・刑法】の抜粋を参照して戴ければ理解できると察するが、こうした規定が無意味である事や、その根底を覆す内容が以下に記す内容である。人権が保障されているにも拘わらず、それを根拠に人権侵害が行われている実定法である。
中国憲法(1954年)第2章第6節第78条は、人民法院は独立して裁判をおこない、法律のみに服従する、と規定したが、しかし改正後の憲法(82年)第3章第7節第126条は、人民法院は法律の定めにてらし、独立して裁判権を行使し、行政機関、社会団体、個人の干渉を受けない、と規定しており、それまでの、人民法院は『法律のみに服従する』という文言が削除されている。さらに、憲法(82年)第1章総則第28条は、国家は社会秩序を維持し、国家反逆と、その他の反革命活動を鎮圧し、社会の治安を乱す活動、社会主義経済を破壊する活動と、その他の犯罪活動に制裁を加え、犯罪者を処罰し改造する、と規定している。
この憲法上の規定は、国家による司法への政治介入を正当化している。つまり、この規定を根拠に人権侵害が行なわれているのではないかという点に着目し、その具体的な内容について検証する必要がある。
まず三権分立について、大陸法・英米法に顕著な「三権分立」は、中国では容認されていない。中国の司法制度が、最終的に党中央政法委員会(羅幹書記)という政党機関の一元的な統制に属する事実は、権力の優越を示している。公正中立であるはずの司法が政治に仕える図式は、社会主義とはいえ序文(82年憲法)に掲げる「国家は全力をあげて全国各民族の共同の繁栄を促進する。」に繋がらないであろう。興味深い内容として、枕徳咏・最高人民法院副院長は2001年9月、社会的なトラブルを招きやすい再審請求問題について「再審請求の処理には高度の政治的な覚悟が必要である。機械的な司法処理の過ちを犯してはならない。党と国家の方針を厳格に執行すべきだ」と、司法判断への党の指導性、つまり司法への介入のあることを明言している。
以前にも、司法に対する政治介入について、1995年3月に提出された最高人民検察院検察長、張思卿の報告は、「われわれは常に党委員会の指導を仰ぎ、人民代表大会の監督をすすんで受け入れる必要がある。検察院は党委員会と人民代表大会に定期的に報告を提出して意見を求め、その支持および細心の注意を払って実現しなければならない」。(1) また、同年同月、最高人民法院長、任建新は、裁判所は「党によって指導されている」という内容の発言をしている。(2)

【註】
(1) 最高人民検察院の全国人民代表大会への業務報告 1995年3月 13 日(世界放送一覧 1995年4月4日)。
(2)任建新作成の「最高人民法院業務報告」(世界放送一覧 1995年3月29日)。

 こうした中国政府の姿勢は、天安門事件さらにチベットのラサ反乱の武力鎮圧に現れている。天安門事件は民主化を要求する学生たちが徒手空拳で戦車に立ちはだかり、これに人民開放軍が無差別に発砲した。最高実力者、と小平氏が「反乱革命暴乱」と認定し武力鎮圧を命令した結果である。これは、「明白かつ現在の危険」の基準の法理に従ったものと考えられるが、この方法でしか状況回避できなかったかについては、わが国をはじめ欧米にとって疑問である。何故なら、軍の発砲は排除でなく、殺戮であったからである。これは、人権侵害の事実である。
現行の「裁判官法」は任用資格に「良好な政治、業務の素質」を規定。同法は裁判官に対し「行政機関、社会団体と個人の干渉を受けない」と独立性を保障してはいるが、そもそも裁判官の頂点に立つ最高人民法院長は、前述の党政法委の委員を兼ねている。この点に付き、この社会団体に共産党が相当することは明らかである。
つまり、憲法(82年)第1章総則第28条は、国家は社会秩序を維持し、国家反逆と、その他の反革命活動を鎮圧し、社会の治安を乱す活動、社会主義経済を破壊する活動と、その他の犯罪活動に制裁を加え、犯罪者を処罰し改造する、という規定の意味するところは、すなわち、憲法上で政治権力が司法への介入ができるということを意味するものである。
それを、法的根拠にして、学生たちの民主化の要求を「反革命暴乱」とするにはあまりに、無謀な規定といえる。しかも、序文(82年憲法)に掲げる「国家は全力をあげて全国各民族の共同の繁栄を促進する。」という文言に繋がらないであろう。これは、いわゆる階級意識と権力の濫用といえる。
確かに、序文において、「わが国においては、搾取階級は階級としては消滅したが、なお階級闘争は一定の範囲で長期にわたり存在するであろう。中国人民はわが国の社会主義制度を敵視し破壊する国内国外の敵対勢力と敵対分子にたいし闘争しなければならない。」と記載されてはいるが。規定内容との関連に違法性はないかもしれないが、不当な人権侵害である。
 結局のところ、中国の人権侵害の起こる要素は、権力の分立がなされていないことが、重大な欠陥といえる。三権分立制度を採用していれば、権力に隷属した司法制度が確立しなかったであろうと考える。こうした権力不均衡からくる、抑制効果が働かない制度が一元的権力の集中を生み出し、人間として最大限に守らなければならない人権までを侵害するに至っていると考える。
 尚、1999年3月の改正において憲法5条に追加された「社会主義国家」は、こうした人民民主主義独裁主義との関係で今後の国家統治姿勢が注目されると考える。だだ、2000年2月以来提唱されている「三つの代表」(1)との関係から、私営企業家の取り込みなど党の基盤拡大を打ち出していることを考慮すると、WTO 加盟をも含め、他諸国との共存という点においては、階級性は薄くなっていくと考える。つまり、人権問題に関して、国内事項不干渉の原則を理由に他諸国の干渉に対し弁明することはできなくなるであろう。

【註】(1) 三つの代表論:
2001年7月1日の党創立記念日に、江沢民総書記が正式に打出し、2002年5月31日の演説で部分修正した。党は、(1)先進的生産力発展の要求(2)先進的文化の進む方向(3)最も広範な人民の根本的利益・・・の3つを代表するとの理論。
その核心は、私営企業家の入党もみとめる(3)にある。(産経新聞 山本秀也 2002年11月9日) 修正前(朝日新聞 2000年12月21日)


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