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カテゴリ:写真
戦後すぐの頃、東京の下町を中心にものすごい数のカメラメーカーがありました。元の町工場が中心になり、日本人の手先の器用さを活用してカメラの組み立てをはじめたのです。レンズは望遠鏡やメガネなどのレンズを作っていたところで供給してもらい、シャッターはやはり精密機械の作れる町工場で作られたものを使いました。もちろん、戦前からのメーカーも製造を再開しました。その頃のカメラはブローニー判のスプリングカメラと二眼レフが中心でした。スプリングカメラよりは組み立てのしよい二眼レフを作るメーカーが多く、国内ででは空前の二眼レフブームをも生みました。すごいのは、国産の二眼レフの名前だけでAからZまで揃うということです。今では信じられないほどです。
この中で弱小の町工場のメーカーを四畳半メーカーと呼んだのです。カメラと言う小さなものなので四畳半は極端としても小さなスペースで組み立てられたのも確かです。精密に組み立て調整するには高価な測定機械も要るのですがとにかく写ればよいと言うことで作られたものも多かったようです。 その頃の家庭用写真は密着というフィルムのサイズと同じ大きさのものが主力でした。引き伸ばしてもほんの少し大きい名刺判、うんとお金持ちで手札判でした。手札でも今のサービスサイズより小さかったのです。そうした時代にはそこそこ写れば十分で安くなくてはならなかったのです。 一流メーカーになったところと数年の間に消えていったメーカーまでさまざまでした。 お客さんは進駐軍の兵隊さんで、後はアメリカ向けの輸出でした。日本では昭和30年くらいまで食べるのがやっとの時代でしたからね。このカメラ産業が戦後の復興の一翼を担い、世界一のカメラ生産国への礎を作ったのです。 今日の写真はこの中のミドル120Aと言うものです。本来はもっと良く写るはずなのですが・・・ジャバラの穴をふさぎ移せるようにはしたのですが結果はこのとおりでした。普段は世界一流と言われるレンズのカメラばかりなので比較はしにくいと思います。しかし、小さい写真(昔見ていたサイズ4*5.5cm)だと結構まともです。 昔のサイズ カメラは ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006/01/25 06:19:49 PM
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