2006/11/16(木)12:50
熊野の旅 老舗の産院
熊野市は今は一ヶ月に一桁の数しか子供が生まれませんが、かつてはたくさんの子供が生まれていたのです。
私の生まれた時代は産婆さんが活躍していた頃です。近代化が進んでお産が産婦人科の医院で生まれるようになると、熊野にも産院が出来ました。
その老舗がこの産婦人科医院です。
元々が医者一族の名門でかつてはこの周辺で内科・外科・産婦人科と一族で揃っていたものです。
熊野市の産院で生まれた人の数ではこの産院が一番多いかもしれません。今、熊野市の外に出て活躍している世代の人には特に多いでしょうね。
全国ニュースにもなった尾鷲市民病院の産婦人科医師不在問題も、かつては考えられないことでした。熊野でも二軒の産婦人科の開業医がおられるくらいで、全国一寸した町には内科と産婦人科はあったものです。
病気ではないが、いつも死亡という危険をはらみ、損害賠償訴訟の対象になる危険がある『産科』を廃業したり、若手は目指さなくなったのでこんな問題が各地で起きてきたのでしょうね。
ここの先生は病院の前のお屋敷で芍薬を栽培して、芍薬散を自家製で作って産後に飲ましたりしたものです。勿論診療報酬外で先生の善意でやられていたようです。いかにも土着のお医者さんらしいことです。
9月11日からの一ヶ月で生まれた子供が8人・・・将来にかけて減るかと言っても増えることは無し・・・これでは産科の医院が存続するには厳しすぎます。
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