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JE2LUZ・熊野

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2010/02/28
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カテゴリ:混在
 昨日は熊野のローカル紙、「ヨシクマ新聞」について書きました。
 今日はもう一つの「南紀新報」になります。
 この二紙は長年ライバルとして、シェア争いをしてきました。
 創業はどちらが早いのか知りませんが、私が高校時代にはしのぎを削っていましたね。
 ライバルが居るから、よくあるような、ぬるま湯にどっぷりつかったローカル紙にならないで済んだのかもしれません。
 この狭い木本と井戸・有馬を中心に記事を拾って紙面を作るのは中々大変です。それに、大きな会社も無いところで新聞を支える「広告」を取るのも記事以上に大変なのではないでしょうか?
 昭和の大合併の頃で熊野市が3万人、南牟婁郡も3万人ほどでした。
 購読者はせいぜいこの範囲です、
 奈良県側の下北山村とか上北山村には郵送による読者が少し居ますが、部数としてはほんの少しです。
 新宮には新宮のローカル紙がありますし、三重県側の鵜殿村や紀宝町は新宮の方を向いて生活しているので市場としては弱いですね。
 元々これだけしか居なかった人口がほぼ2/3まで減少しています。
 それでも、この二紙はがんばっていますね。

 小さな新聞社だけに、社主、主筆の性格が紙面にはっきり出てきます。
 だから、購読者も記事絵オきちんと読む人は自分に近い方の新聞を選ぶようです。
 読者の中には、ローカル紙の大事な役目の「死亡広告」の黒枠だけ目を通す人も居るようですけど…
 
 「南紀新報」通称「ナンキ」は熊野市駅のそば、元、「百五銀行」の建物に入っています。
 私の記憶では小学校のそばの小さな建物でやっていてから、「文字岩」の近くの少し大きな社屋に引っ越して長くやっていました。そして、熊野市の玄関口に出てきたのです。
 片方の「吉野熊野新聞」も細い露地のような道に面した狭苦しい社屋から、目抜き通りの記念通りにあった「農協会館」を買い取って立派な社屋になったのです。
 こんな狭い町で、二紙ともに成長したなんて不思議なくらいです。
 ローカル紙と言うものは外に打って出られるものではないですからね。
 老人が増えて、町に出る機械も減っているだけに、こうしたローカル紙が提供する話題やニュースがどんどん大事なものになって来たのかも知れません。



 
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最終更新日  2010/02/28 10:49:49 AM
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