2016/07/23(土)08:45
熊野の旅 番外 恐山
暦を見ていたら・・・
7月21日は下北半島恐山の大祭の日です。
半世紀ほど前、昭和38年(1963)にこの、「恐山の大祭」へ行きました。
勿論、大祭に集まる「いたこ」さんの口寄せ風景の写真を撮りにです。
国鉄・大畠線だったと思いますが、下北の付け根まで行き、バスに揺られて恐山へ・・・
「賽の河原」というような火口原の殺伐とした光景と、当時はまだあれ寺のような地蔵尊を祀る菩提寺の組み合わせは異様な物でした。
何を食わされどう寝たのか覚えはないのですが宿坊に泊まって・・・
「恐山」はカルデラ湖の宇曽利湖(うそりこ)がなまった物と言われます。
大祭には「いたこ」と言う目の見えない女の人が集まり、「口寄せ」を行っています。
そのイタコさんと菩提寺は関係ないことになって居るようです。
「口寄せ」は死者の霊を呼び出して、親族など依頼した人との間でその思いなどを仲立ちすることです。
東北各地から集まったイタコさんが語るので、あれは多分「ずうずう弁」なのだと思います。
語りはよくわかりませんでした・・・ではなく・・・ほとんど判りませんでした。
多分。私の銭したオヤジを呼んで貰っても「青森弁」を喋ったでしょうね。
私が訪れた昭和38年だとかだと、呼び出されている魂は戦死した人が多かったようです。
依頼した人達は涙を流し聞き入っていました。
単純には信じられないことですが、あの、恐山という異様な光景の中でなら「これもありかな」と思えました。
なまじ、法力だなんだと言わないで、まったく民間の普通のおばさん・おばあさんの口寄せだけに素直に聞けるのかも知れません。
盲目の女性が生きる道は「瞽女・ゴゼ」の道と、こうした「いたこ」のような霊能者になるしか無かったのでしょう。
東北という過酷な風土が感じられる風景でした。
日本各地にこうした「あの世」と「この世」を結ぶ通路のような場所がありますね。
あの寒い下北に比べると随分明るく温暖なあの世の入り口が熊野ですね。
「補陀落渡海」などは見掛けは明るい極楽浄土への船出ですからね。
気候風土が明るいからか同じように女性の仕事でも「熊野比丘尼」は暗くないですね。
江戸の話になってくると「熊野比丘尼」さんもあまりよろしくない人になっていたり・・・
でも、時代は変わっても、この辺に「彼岸」と「此岸」をつなぐ道があるはずですよね。
「パワースポット」なんて訳の分からないもの探すよりこの方が良いのかも・・・
???
昨日からは「ポケモン探し」に走っちゃってるかなあ?
熊野にもちゃんとポケモンは居るようですから・・・
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