全て
| 混在
| ホームページ
| 写真
| ニュース
| 食品
| 雑感
| クラシックカメラ
| 環境問題
| 熊野について
| スポーツ
| 作物
| NET・パソコン
| 思い出
| 世の中
| アマチュア無線
| 熊野市議会
| ベトナム
| フォルクスワーゲン UP!
カテゴリ:雑感
私が子供の頃には海外からの引揚者がまだ続いていました。
舞鶴港に引揚船が入っていた時代です。 「帰り船」「岸壁の母」などという寂しい歌も流行りました。 満州からの引き上げ、戦地からの帰還、シベリア抑留からの帰国… 生きて延びた人は命からがら帰ってきました。 でも、私の父親や叔父などは帰ることはありませんでした。 中支、ビルマ、沖縄・・・ 三人共に遺骨は帰りませんでした。 形だけ遺骨の箱は届いたようですが中身は石ころだったとか… ビルマと中支では戦病死ということで場所はわかっても送り返せる戦況ではなかったようです。 このように、アジア各地、南方の島々、沖縄等に無数の遺骨が残されたのです。 そして、海底にも無数の遺骨が沈んだままです。 戦後すぐから外地からの引揚者のために「引き上げ援護局」などという役所が出来て、整理はしていたようです。 昭和38年に東京都の使われていない建物を撮影に使いたくて管理者を探していたときにも「引き上げ援護局」が生きていて100人を越す職員がいました。 厚生省にも同様な部署があり、少し落ち着くと「遺骨帰還事業」にも手を付けていました。 マスコミも取材していましたが、沖縄の海での引き上げ現場で、潜水夫が回収して船に揚げた遺骨を、うまく絵にできなかったからと海に投げ込んで撮影し直したのがバレて問題になったこともあります。 厚生省では駄目だということで、日本遺族会とか遺骨収集推進協会などという団体、個人まで戦跡を駆け回って遺骨収集をやってくれました。 昔はDNA鑑定などという身元判別の手段がないので供養した遺骨はまとめ持ち帰ることになりました。 厚生省が絡むと、「遺骨は焼け」と言う指示が出て灰にして持ち帰ったようです。 きれいに洗って持って帰りたい民間団体と全く違うようです。 民間団体と違い、役人には遺骨は「単なる骨」にしか見えないようです。 配属されたから仕事でやっているだけですからね。 いま問題になっている「シベリアの遺骨問題」も起きて当たり前のことなんです。 好まない部署に配属され、なるべく早く転属したいとしか思わない職員酸が多いのでしょう。 彼らは遺族でも遺児でもありませんからね。 事情を汲み、人員採用するなどという事はありえませんからね。 官僚は生きている国民でさえ面倒な存在だと思うところがあるくらいですから、他人の骨などはね。 余程の人材が偶然配属されない限り事態は変わらないでしょう。 戦争の犠牲者をまともに扱えないからこそ、憲法改正も気軽に発議できるのでしょうね。 「靖国」に參れば英霊に報いたと思う政治家が多いです。 ミニスカートで観閲式に出た人も居ますしね。 それでも日本は、今のところ、世界で一番平和な国みたいです。 転がり落ちないように気をつけなしと… 人気ブログランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019/09/15 06:00:08 AM
コメント(0) | コメントを書く
[雑感] カテゴリの最新記事
|