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JE2LUZ・熊野

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2019/09/25
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カテゴリ:熊野について
前の記事の続きです。
 木本の脇の浜の船着き場は、昔は重要な港でした。
 今でも獅子岩から猪の鼻を結んだ内側が「木本港」として港湾になっています。
 突堤も岸壁もない時代、尾鷲との間を結ぶ「巡航船」がここに着いていました。
 そして、この脇の浜と紀伊木本駅(現熊野市駅)を結ぶ道路が「木本停車場線」と言う県道であることもこの港が重要だったことを示します。
 駅から市役所前から本町を通り、一丁目のところで右折して浜通りに入り脇浜までは今でも県道です。
 市役所前の道路ができるまでは、馬留はら亀齢橋まで行き、右折して駅に出ていました。 
 巡航船は国鉄紀勢線が全通して、海岸線の村々が「陸の孤島」で無くなってから廃止されました。



 木本港に入ってくる巡航船です。
 艀を引っ張っていて、途中の港でも接岸せずにお客さんを上下船させていました。
 巡航船が無くなってからは漁港として役割を果たしていました。
 木本という街にあるので木本漁協の船はここに陸揚げしていましたが、木本の港は鬼ヶ城を挟んだ「松崎」もあり、船をつけるにはそちらのほうが適していました。
 魚の水揚げなどのために突堤が作られ荷揚げの岸壁も出来たのですが、その頃から漁業を取り巻く状況が大きく変わりました。
 もともと、昔式に「一浦一漁協」のように、熊野市には六漁協ありました。
 それが、結構苦労して「熊野市漁協」として 一本化したのですが、時代はそれでは収まらなくなりもっと広域の合併が要求されているようです。
 「漁業法改正」もあったし、後継者も不足した漁協は存続できないでしょう。
 補助制度とか無縁で成り立つのなら良いですけどね。

 駆け足で書いてきましたが、これでもまだ終点に着きません。
 まあ、「坂上田村麻呂」が「多賀丸」を退治しに来る以前から。漁村・海賊の根城として個々にあったのですから、簡単には書けませんよね。

 もう少し続きがありますから次も読んでください。


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最終更新日  2019/09/25 06:00:10 AM
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