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カテゴリ:思い出
私が長年使ってきたカメラの多くは日本光学・ニコン背のものです。
一番最初に一眼レフを持ったのは、「NIKON F」で1959年に発売されたものです。 国産の一眼レフの歴史は「アサヒフレックス」から始まり、それがペンタプリズムになり、ミラーが瞬時に復旧するクイックリターンになり、実用化して行きました。 その間に、トプコン・マミヤが出て、さらに、超進歩的な「ズノー」が出ました。 キャノンが発表してすぐに日本光学がNIKON Fを発表しました。 カメラの専門誌「写真工業」に発表されたのが、1959年5月号です。 50mm f2.0 標準レンズ付きで69000でした。 そして、発売と同時に各種付属品も完備したシステムカメラでした・ だから、NIKON Fは決して早かったわけでは無いのですが、一眼レフとしては完成形でした。 でも、取り入れた「クイックリターンミラー」はペンタックス・旭光学の特許に抵触して揉めた経緯があります。 それが解決?出来なかったらNIKON Fがあそこまでの評価は得られなかったでしょうね。 そして、1964年の東京オリンピックで地位を確立したのです。 オリンピックの撮影に「超望遠レンズ」が使われたのですが、小さなマウントにバズーカのようなレンズを付けましたから、マウントごともげちゃうと言うようなトラブルが続出したようですっが、日本光学は国立競技場・駒沢競技場などにサービスカーと技術者を配置して取材に支障来さないようにして居ました。 採算度外視で動いて、世界のマスコミに「NIKONは素晴らしい!」と信じ込ませ、「世界一」の地位を築いたのです。 同時進行的にNIKON Fを使っていたのでそうした動きも「伝説」では無く目にしましたね。 この時代に、カラーがスライドからネガカラーに移行しかけました。 そして、フィルムの世界では富士写真フイルムより小西六写真工業の法が強かったのです。 カラーネガフィルムはかなり高くて12枚撮り400円でした。 その頃、10本入り「ピース」は50円でしたからね。 8mmも普及し始めた頃です。 露出計付きカメラもどんどん出た頃です。 日本のカメラ産業が性愛を席巻した頃です。 私などは「良い時代」に写真を始めたと言うことです。 人気ブログランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020/01/21 02:21:20 PM
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