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カテゴリ:熊野について
近年は都会でも田舎でも「移動販売」が注目されています。
田舎では随分昔から、「持ち売り」という形態がありました。 町場でもお店が何処にでもある訳では無いし、自家用車などある訳も無いし、木本町内でも、鮮魚・干物などを、リアカーや頭に載せた樽で売って回っていました。 お得意さんを回って売り回る形態は、東京でも「缶カラ部隊」なんて集団が千葉方面などから朝早くなだれ込んでいました。 戦中戦後は「闇摘発」でお巡りさんが追いかけ回しましたが、落ち着くと。東京の台所を支えたくらいですからね。 私が東京に出た昭和36年だとまだまだ盛んでしたからね。 ![]() 写真は1962年頃の有楽町駅構内です。 大きな荷物を背負ったおばさんが写り込んでいますが、こうした人が早朝だと電車一杯になって居たのです。 木本の魚売りのおばさんの写真を撮った覚えがないのですが、何人も回っていましたし、飛鳥にも何人も入っていました。 バスに乗らないで「評議峠」「八丁坂」を越えてきて居ましたね。 この辺では「魚は山で買え」という言葉があるほど、新鮮な魚が安く山間部に入っていたのです。 魚の他に「服」も持ち売りがありました。 「持ち売りで子供を育てた人」「持ち売りから巨大スーパー」を作った人・・・ 戦後経済を支え、作った業種だったのです。 今では「移動販売」が本当に必要な仕事になってきています。 店はないし、バスもないし、乗り合いタクシーも高く付くし・・・ 何より、「歩けない人」が増えています。 でも。歩けないから「移動販売車」が細かく止まらないと買えないんです。 一人住まいの年寄りですから買ってくれる量も少ないので、商売になりにくいのです。 行政の出番なんですが、そっち向きのは中々興味は向かないようです。 ![]() 人気ブログランキング
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なんと、私が3歳の時に東京ですね
写真のおばさんのように担いできた人、金山でもありましたよ 新宮から神志山駅まで列車、そして歩いて金山まで 背負いは2段でした 食料品のほかに、頼んでいた服なんかも 帰りは、空になった風呂敷に 金山のじまめ(落花生)やきりめ(干し芋)を入れて 昔の人は偉かったし、働いて飯食うぞといy生活感がありました 今は、株がどうや、為替がどうや、先物がどうや そんな人たちにが多く、非生産型職業が多すぎます もっと本来の動物としての生き方に戻るのもいいと思うのです 生活感のあるね 山や農業で飯が食える社会に 利便性や楽を求めすぎです 結局は、苦しくなる方向に進んでいるのです 昔からのお店が無くなり これで、イオン、主婦の店が引き揚げたら 熊野はどうなるのでしょうね 親が子に遠慮して、子に買い物を頼めない家庭も多いです 私は、頼まれなくても食料は買ってきて親の家の冷蔵庫に入れています 移動販売車は重要です 金山は鵜殿方面から来ていたと思います (2020/10/22 10:45:51 PM)
熊野の男前さんへ
*** 東京では今でも何人か生き残っているようですよ。 移動販売は随分前から都心部では働いているようです。 スーパーが大型化して郊外に出ていったし、個人商店は消えていますしね。 便利さは車に乗れる若い人のためで、老ウジンとかの弱者は取り残されます。 弁当の宅配。食材の宅配などは地域も限定されるし割高ですからね。 家が減ると移動販売も困りますよね。 (2020/10/23 05:16:59 PM) |