熊野 黄泉の国の入り口?
熊野は「神々の郷」とか言わrますが、補陀落信仰なんてのではごく六浄土への出発点だともいわれます。 熊野信仰は浮かばれぬこの世ではなくあの世での安泰を願ったものだとか… イザナミを弔ったのが花の岩屋で、伊弉諾が追いかけていったということはやっぱりあの世の入り口なんでしょう。 人間は必ず死にます。 本当はどうだかわかりませんが、「あの世」とやらがあるのなら行かなくてはならないのでしょう。 途中の分かれ道で仕分けされるなんて考えは色んな宗教で言われますね。 蓮舫さんみたいな綺麗だけど怖い仕分け人が居るのかも・・・ 「二番でもビリでも良いから通して下さい!」と頼めば大丈夫かな? 葬式には・・・ 「地獄の沙汰も金次第」だから六文銭を持たせる? でお、この辺では「そばボーロ」で代行したり… 中国式の紙のお金よりはわいろとして効くのかも??? 医学部の裏口どころの話ではありませんね。 まあ、それは置いておくとして・・・ 「黄泉の国の入り口」「補陀落・西方浄土の入り口」「神々の郷」色々揃っているって、どうしても死ななくてはならない人間にとって便利な土地ですよね。 上州や上総なんて遠い所からまともに金も無いのに四苦八苦しながら熊野に来た人に比べれば熊野に居れば随分楽して成仏?神になる?出来たでしょう。 今だって、春と秋には「天国と繋ぐ綱」に縋って神様のお手伝いが出来る所ですからね。 それも、氏子かどうかなんてケチなことは言いませんよ。 お賽銭の額も問いません。 伊弉諾さん達の時代には「和同開珎」も無かったでしょうから・・・ 熊野三山も歩いたって二日でお参り出来るでしょう。 何が言いたいのかって? 今日の続きはまた明日・・・ 前武・巨泉なんて分からないだろうなあ???人気ブログランキング