第5章 狂奏曲第5章 狂奏曲「クロウ……大丈夫なのかな……」 ローグはソロモン基地の通路に設置されたベンチに腰かけ、暗い様子でつぶやいた。 フィアとの戦闘で荒れ果てた通路に、集中治療室の『手術中』というランプの灯りがぼんやりと光を投げかけている。 戦闘終結から5時間――― 辺りはすっかり暗くなっていた。 通路の先は深い闇に覆われ、何も見えない。 今にもひょっこりとゴーストが現れそうだ。 「………傷は深かった」 隣に座るシュナイダーも、暗い様子で答える。 「それに、感染しているかもしれないわ」 リアナが言った。 彼女はすっかりやつれた様子でベンチに座っていた。 「もし感染しているとしたら、リードの血液から抗薬を作り出す必要があるわ。この施設にはそれを作り出せる設備もある。だけど…………」 リアナは不安げに唇を噛んだ。 「あの傷でただでさえ弱っているクロウにそんなものを投与すれば、身体が耐えきれずに死んでしまうかも。最悪、ゾンビ化するわ」 「…………とにかく」 ビッドが壁にもたれかかりながら言った。 「彼の生を祈ろうじゃないか」 ヘリが猛烈な風を巻き起こしながら、ソロモン基地に着床した。 ヘリの扉が開き、数人の兵士達が降りてくる。 そしてその後ろから小太りの男が降りてきた。 ネザルだ。 ネザルはソロモン基地の惨状を見て、ふむ、とつぶやくと、己の口髭を丁寧に撫でつけた。 それから1日後の、1月4日午前11時――― 「これから、フィアに関わる重大発表を行う」 アーサーはソロモン基地の生き残りを全て集め、彼らを前に演説をぶっていた。 聞いている者達の中には、ジェイド・アーシタやネザルもいる。 アーサーは大袈裟なジェスチャーを交えながら、説明を始めた。 「我々の敵、フィア。その実態の解明に、我々は全力を注いできた」 アーサーはそう言うと、演説台の後ろにあるスクリーンに映像を映した。 顕微鏡写真が映し出される。 毒々しいウイルスの写真だ。 「これが元凶たるUウイルス。ブラジルで発生した異常種だ」 アーサーはUウイルスの起源がアメリカの生物兵器開発である事を知っており、嘘をつくことに心苦しさを感じていた。 しかし、そんな事が判明すれば、アメリカは世界のリーダーの座から叩き落とされてしまう。 アーサーはUウイルスがたんなる異常種であると発表するよう、ネザルから命令されていた。 腐った陰謀とは、どこの世界でもあるものだ。 「Uウイルスは皮膚の腐化と、筋肉及び脳の衰退を発生させる。そこから生まれたのがグール。あのゾンビだ」 スクリーンの写真がグールに切り替わった。 「だが、最近Uウイルスに新たな特性があることが判明した」 アーサーはそこで少し言葉を切り、聴衆を見回した。 「適応性が著しく高い事だ。これは、フィアが証明しているだろう?Uウイルスはグールを生み出したが、グールは非常に不完全な物だった。ここでUウイルスの適応―――言わば、進化が始まった。Uウイルスはグールの腐化した皮膚の代わりに、新たな皮膚を生み出した。フィアやヴィシスのゴム状皮膚がそれだ。さらにUウイルスの進化は続いた。それに伴い、グールの姿も変異していった。骨格の変質、牙の生成、脳の修復、テレパシー能力………。それらの能力を持ったのがフィアだ。だが、我々が最も驚いたのは、ハイブ・マインド<集団脳>の生成だった」 スクリーンの映像が切り替わる。 そこには、あの<マザー>が映っていた。 「これがそのハイブ・マインド。この巨大発光体は<マザー>と呼ばれている。これは全てのUウイルスのアビリティを集積し、統制する役目を担っているんだ」 アーサーは釘付けとなっている聴衆達に、堂々と言った。 「この<マザー>は、我々とは大きくかけ離れた生態をUウイルス・クリーチャー達に与えた。テレパシーによる全てのUウイルス・クリーチャーの統制。知識を集約する事によって可能となった異常的高度のテクノロジー………。この<マザー>の存在により、フィアはグールやUウイルス・クリーチャーを支配しているのだ。だが、このハイブ・マインドは、思わぬ弱点をも有している」 アーサーは言葉を切り、聴衆の関心を高めた後、言った。 「蜂は女王蜂を無くせば、互いに殺しあう。フィアもまたしかり。全てのUウイルス・クリーチャーは、この<マザー>の統率によって一致団結している。つまり、この<マザー>を倒せばUウイルス・クリーチャーをまとめあげる存在がいなくなり―――」 アーサーは目の前で拳を握った。 「奴らは互いに、殺しあう。つまり、この戦いに勝つには、<マザー>を倒せばよいのだ!」 しばらくの静寂――― 突然、どこからか拍手が起きた。 拍手の波は広がっていき、最後には大歓声となって空に響き渡った。 1月7日、アメリカ、デトロイト――― アメリカ合衆国大統領、グラントは、自らのふかふかの椅子に腰かけ、肘置きをイライラと叩いていた。 アメリカに対するフィアの侵略は深まるばかりだった。 アメリカ軍の拠点たるデトロイトやシカゴも、そろそろ危ないだろう。 デトロイトやシカゴには、アメリカ軍の残存兵力が集結し、そうとうな戦力となっている。 これを使えば、一大反攻作戦でも展開できるのだが…………。 トゥルルルルルル 突然、デスクの電話が鳴り出した。 グラントはすぐに受話器をとり、耳に当てた。 「私だ」 『大統領』 「プレブスか。なんだ?」 『准将のネザルがソロモン諸島からただいま帰りました』 「それがどうした」 プレブスの言葉に、グラントは眉根を寄せた。 豊かな白髪の大きな眉が、まるで白い毛虫のように動く。 だが、次にプレブスの発した言葉に、グラントは目を見開いた。 『ネザルがフィアの撲滅法を持ち帰りました』 「そろそろ限界ね………」 リアナはベッドの上に寝かされ、酸素マスクをつけたクロウを見て言った。 ディザスターに刺されてから、そろそろ丸2日だ。 本当にUウイルスに感染したかどうかわからないが、もし感染していたとすれば、取り返しのつかない事態になる。 だが、この傷だ。 弱った身体は抗薬の衝撃にはたして耐えられるのだろうか? リアナは少し考え込むと、意を決し、おもむろに注射器を取り出した。 中には半透明の液体、リードの血液から生成した抗薬が入っている。 彼女はクロウの血管に、それをゆっくりと注入した。 しばらくの静寂。 リアナはごくりと息を呑んだ。 数分後――― リアナはようやく安心のため息をついた。 クロウに何ら変化はない。 と、思った次の瞬間、クロウが突然奇声をあげ、暴れ出した。 酸素マスクが外れ、近くのコンピューターがピーピーと危険を報せるアラームを鳴らし始める。 クロウはがむしゃらに暴れ、近くの器具を蹴り倒した。 ガシャーン!と派手な音が響き、治療道具が床に転がる。 クロウが荒い息を吐き、リアナに向き直った。 リアナはゾッとした。 クロウの瞳には狂気が浮かんでいた。 グールの瞳だ。 次の瞬間、クロウはリアナに飛びかかり、押し倒した。 リアナの鋭い悲鳴が響く。 クロウはリアナに馬乗りになると、リアナの首を掴み、締め上げ始めた。 「う…………ぐ………か、はっ!ろ、ろーぐ!ローグーーっ!」 リアナは必死に抗いながら、ローグの名を叫んだ。 クロウが唸り、大きく口を開ける。 コンピューターが狂ったように鳴っている。 次の瞬間、治療室のドアを蹴破り、人影が乱入してきた。 「リアナ!」 ローグはクロウに首を絞められているリアナを見ると、ハンドガンを腰から抜きつつ彼女達に駆け寄り、クロウに思い切り飛び蹴りを食らわせた。 クロウが壁に叩きつけられ、どさりと床に落ちる。 「リアナ!噛まれてないか?」 ローグはリアナの無事を確認すると、すぐに銃口をクロウに向けた。 クロウはむくりと身体を起こし、ローグ達を見据えた。 「クロウ……まさか……」 ローグが呆然とつぶやく。 しかし、言い終わらない内に、グールと化したクロウが猛然と襲いかかってきた。 「ちっ………。許せよ、クロウ!」 ローグはそう言うと、トリガーを引いた。 弾が銃口から放たれ、空を切り裂いて飛んでいく。 しかし、それはクロウに命中する事なく、治療室の壁に穴を穿った。 クロウが屈み込んだのだ。「くっ、避けたか!」 ローグはそう言うと再び照準をクロウに向けた。 しかし、そのハンドガンをリアナが抑えた。 「なんなんだよ、リアナ!」 「待って。何か変よ」 リアナは息巻くローグを制した。 クロウが頭を押さえ、苦痛の唸りをあげながら床の上で悶えていた。 「ど、どうしたんだ?クロウ」 ローグは思わずクロウに訊いた。 クロウはなおも悶え続けていたが、しばらくしてようやく動きを止めた。 「…………クロウ?」 リアナがおっかなびっくり訊く。 クロウがうめき声をあげて起きあがった。 ローグは慌ててハンドガンをクロウに向けた。 「あ………つーー……………」 クロウが額を押さえてつぶやく。 「…………クロウ……なの?」 リアナが再び訊いた。 「………ああ。リアナ、抗薬を投与してくれてありがとうよ」 クロウが顔をあげて言った。 その瞳に、狂気などかけらもなかった。 「あいつに、ウイルスに身体を乗っ取られる所だった」 1月20日――― 「な、なに!?グラント大統領がデトロイトとシカゴの軍勢をサンフランシスコに向かわせただと!?」 アローは驚きふためいて叫んだ。 受話器の向こうの人物もそうとう驚いているようだ。 たしかに、フィアを倒すいちるの望みは見つかった。 しかし、その作戦をアメリカ軍だけで行うというのは、そうとう馬鹿げていた。 グラントという男はそこまで盲目だったか。 アローはほとほと呆れ返った。 おそらく、グラントはフィアを撲滅したという事で、世界各国に対して優位になりたかったのだろう。 「すぐに連絡を送れ!今すぐに!」 『し、しかし副大統領、アメリカ軍は既にサンフランシスコに迫っています』 少し考えたアローの脳裏を、嫌な考えがよぎった。 「まさか、大統領は……」 『ええ』 相手は残念そうに答えた。 『グラント大統領は地空から攻撃をしかけ、敵が混乱に陥っている隙に、<マザー>のいるタワーに核攻撃をしかけるつもりです』 「こちらグリフォンリーダー。全機、配置についた」 グリフォンリーダーは通信機に向かって言った。 エンジンの唸りが座席を通して伝わってくる。 たくさんの戦闘機が空を飛んでいた。 数は100、いや、300を下らないだろう。 『さあて、と。ショータイムだ!』 通信機からパイロットの声が聞こえてくる。 『トカゲもどきの尻に、熱い核を落としてやろうぜ!』 何人かの笑い声がした。 「よーし、みんな、談笑はそこまでだ」 グリフォンリーダーはそう言うと、気を引き締めた。 「もうすぐ戦場だ。フィアどもに制裁を与えてやろう!」 雲の壁がどんどん近づいてくる。 そこを突き抜ければサンフランシスコだ。 『アメリカの誇り高き兵士達に告ぐ!』 通信機から声が聞こえた。 グラント大統領だ。 『目標はタワーにいる<マザー>!前線指揮はネザルに任せる。Operation:Destruction<破滅作戦>、始動!』 『了解!攻撃を開始する』 グリフォンリーダーはそう言うと、ミサイルをいつでも発射可能にし、雲の壁に突っ込んだ。 一瞬の白界。 次の瞬間、グリフォンリーダーは雲から飛び出した。 味方も次々に飛び出してくる。 だが、そんな彼らの目の前にあったのは、信じられない光景だった。 『う、うわっ!』 『サイクロプスだ!』 サンフランシスコの上空には、大量のサイクロプスが待ち構えていた。 そのサイクロプスの大軍が、アメリカ軍に向かってくる。 サイクロプスの数は、軽く1000機は超えているだろう。 次の瞬間、サイクロプスが一斉にレーザーを放った。 ほとんど面のようにしか見えない大量のレーザーがアメリカ戦闘機部隊に向かってくる。 グリフォンリーダーが最後に見たのはそんな光景だった。 「戦闘機部隊第1波、全滅!」 オペレーターの言葉に、ネザルは愕然とした。 「ば、バカな!作戦が始まってからまだ3分もたってないぞ!」 「デイクス大佐の部隊がサンフランシスコへの攻撃を開始しました!」 オペレーターが続けて叫ぶ。 ネザルは苦い顔をした。 「ち………。しかたがない。攻撃続行!」 戦闘機部隊の第2波は、サンフランシスコに接近していた。 『よし!作戦が開始された!やるぞ!We can do it(俺達ならやれる)!』 戦闘機パイロット、ファーガソン少尉は、その言葉を聞いて武者震いした。 前方から大量のサイクロプスが接近してくる。 『ちくしょう!奴ら、待ち伏せしてやがったな!』 誰かの悔しそうな声が聞こえた。 『散開!』 ファーガソンはすぐに操縦桿を左へ切り、ビュンビュン回転しながらサンフランシスコの都市部へと降下した。 サンフランシスコはすっかり姿を変えていた。 人間のコンクリート製のビルと、フィアの近未来的施設が林立している。 半崩壊した道路を、アメリカ軍のエイブラムス戦車が突き進んでいくのがコクピットから見えた。 サンフランシスコのあちこちでこのような光景が繰り広げられているはずだ。 ファーガソンはサンフランシスコの中心にそびえたつフィアの本拠地、<タワー>を見据えた。 それは塔というより、末広がりの山に見えた。 完璧な三角錐(さんかくすい)の形をしたタワーだ。 高さは東京タワーほど。 底面の広さはもっとある。 ファーガソンはビルとビルの間をすり抜け、再びサンフランシスコ上空へと躍り出た。 すぐにサイクロプスが彼を見つけ、後ろにつく。 レーザーがファーガソンの戦闘機をかすめた。 「ちっ!そういや、奴らの武器はレーザーだったな!チャフもフレアも意味が無いじゃねえか!」 ファーガソンはそう毒づくと、きりもみ回転しながら急上昇、急旋回、急降下を繰り返した。 しかし、サイクロプスは不気味なほどぴったりとついてくる。 しかも、レーザーのおまけつきだ。 ファーガソンは必死に機体を操りながら、状況打開の術を考えた。 だめだ。 手の施しようがない。 次の瞬間、背後のサイクロプスが爆発した。 どうやら、味方が助けてくれたらしい。 「ありがとよ!」 ファーガソンは素早く機体を返すと、別のサイクロプスに熱源追尾ミサイルを放った。 ミサイルは誘導システムに導かれ、サイクロプスに命中するはずだった。 しかし、予想外にもミサイルはあらぬ方向へ飛んでいった。 熱源追尾が反応しなかったという事は、サイクロプスの推進システムは、エンジン推進とは違うらしい。 「ちっ!めんどくさい敵だ………」 ファーガソンはミサイルの代わりに、戦闘機の先端につけられた機銃を撃ちまくった。 サイクロプスは銃弾に次々と穴を穿たれ、しまいには爆発した。 ソーラーパネルがクルクル回転しながらサンフランシスコへと落ちていく。 「よし!1つ!」 ファーガソンは笑顔で言った。 「戦況はどうだ?」 ネザルはタバコを吸いながら、近くのオペレーターに訊いた。 「現在、戦闘機隊は第1隊が全滅。第2隊が戦闘を行っています。地上は、ゴリアトがゴールデンゲートブリッジを封鎖しているため、主力部隊が前進できない状況です」 ネザルはサンフランシスコ近郊に駐車している、前線司令車で指揮をとっていた。 時たま爆発で地面が揺れる。 「アトミック・チームは?」 「作戦地域到達まで、残り20分」 ネザルは頷いた。 「よし。攻撃を続けよ」 ヴェノムの攻撃を受け、エイブラムス戦車が吹っ飛んだ。 ゾンビやフィアが人類を押し返していく。 ファーガソンは道路上の敵に空撃をしかけながら、味方の苦戦をひしひしと感じていた。 サンフランシスコの上空では、凄まじい空中戦が繰り広げられている。 しかし、あきらかに人類の方が劣勢だった。 「汎用人型決戦兵器か機動戦士でもいれば楽なんだがなぁ………」 ファーガソンはわけのわからない事をつぶやくと、ビルをすり抜け、サイクロプスに機銃を浴びせた。 サイクロプスが転がるように逃げていく。 ファーガソンは結局そのサイクロプスを取り逃がした。 「ちぇっ!ついてない……」 その時、通信機が音声をがなりたてた。 『核爆撃機が接近!全軍は核爆撃機を援護しろ!』 たしかに、戦場の端に核爆撃機が見えた。 黒いフォルムに、薄いブーメランのような形をした爆撃機だ。 ファーガソンは機銃をリロードすると、核爆撃機の援護に向かった。 敵も、その核爆撃機が脅威だと気づいたようだ。 あきらかに核爆撃機を狙っている。 ファーガソンはそれを機銃で牽制しながら、タワーを見た。 何も変化が無い。 よし、行ける。 核爆撃機は敵の包囲をくぐり抜け、射撃態勢に入った。 次の瞬間、核ミサイルが放たれた。 『総員、退避!』 核弾頭は強固なプロテクターに入っている。 なにをされても破壊されないはずだ。 あと5分たてば、自動爆発する予定である。 ファーガソンは脱出しようと戦闘機の向きを変えた。 核ミサイルはどんどんタワーに迫っていく。 勝った。 タワーにいる<マザー>は焼き尽くされ、フィアは敗北するだろう。 誰もがそう思った。 しかし、タワーのすぐ側まで核ミサイルが接近した時、異変は起きた。 ファーガソンは、それを確かに目撃した。 タワーの周りに青白いシールドが張られたのだ。 核ミサイルは、まともにそのシールドに突っ込んだ。 何も貫通させない頑健強固なプロテクターが、一瞬で溶解した。 大爆発が起きた。 退避などできていなかったアメリカ兵が一瞬で消し炭となり、フィアもわけがわからない内に消えていた。 建物が吹っ飛び、グールの群れが消え失せる。 まるで子供が積み木を蹴飛ばすかのように、ビルが破壊された。 車や人がおもちゃのように吹き飛ばされる。 ファーガソンは背後から迫りくる炎と衝撃の壁を見て戦慄し、速度をあげた。 無駄だった。 核はファーガソンをも呑み込んだ。 戦闘機やサイクロプスが制御を失い、次々に墜ちていく。 サンフランシスコは完全に核に呑み込まれた。 「う………」 ネザルは最後の力を振り絞り、ひしゃげた司令車からなんとか這い出した。 辺りは核による雲で、薄暗くなっている。 塵が大量に飛んでいた。 生物の声も何も聞こえなかった。 あるのは、不気味なほどの静寂。 ネザルは吐血した。 鉄の棒が、腹を貫通するように刺さっている。 ネザルはぼんやりとサンフランシスコを眺めた。 あのゴールデンゲートブリッジが、骨のような姿になっている。 街は焼け野原と化していた。 そして、破壊の真ん中に、タワーが無傷でたっていた。 三角錘の、山のようなタワーだ。 ネザルはズシャリとその場にくずおれた。 ぐちゃぐちゃの内臓が体内で暴れる。 ネザルの瞳から、命が静かに消え去った。 「そうか………。やはり負けたか………」 アローはがっくしとつぶやいた。 部下が悲しげに頷く。 「………もういい。出ていきたまえ」 部下は一礼し、部屋から出ていった。 アローは一人残された部屋で、深いため息をついた。 …………どれくらい時間が過ぎただろうか。 唐突に、デスクの電話が鳴った。 アローは慌てて受話器をとった。 「私だ」 『………………副大統領だな?』 受話器から聞こえてきたのは、悪寒のような声だった。 アローはその不気味な声に、思わず戦慄した。 「……………そうかもしれないな。君は誰だ?」 相手はなおも不気味な声で答えた。 『そんな事はどうでもいい。副大統領、単刀直入に言わせてもらおう』 「………待て!私は何がなんだか……」 『見えすいた時間稼ぎはやめてもらおうか。副大統領、世界の王に興味はあるか?』 「な、なにを言いだすんだ!?」 『興味が無いはずが無いな。声に出ていたぞ、アロー。世界の王となりたいなら、我々の命に従ってもらおう』 「何を言っているのだ!私は………」 『まず、世界各国にフィア撲滅作戦参加を促す演説をしろ。我々にとっても、フィアは目の上のたんこぶだ。我々が待ち望んでいるのは、フィアがいなくなった後の世界………』 「………ふん。私にメリットがないな」 『あるさ』 電話の向こうの男は、笑ったようだった。 『私に従えば、いずれ我々が掌握するこの世界の王になれる。あくまでも表向きは、だがな』 「…………お前は、いったい……?」 アローは枯れた声で訊いた。 『私か?私は、というより我々は―――』 電話の向こうの男は、確かに笑った。 『<パンドラ>だ』 「そういえば、Uウイルスはアメリカの生物兵器開発局が創ったんですよね?」 リアナはハワイ基地の通路を歩きながら、並んで歩いているアーサーに訊いた。 アーサーが頷く。 「ああ。Uウイルスは2000年に生物兵器開発局のアローンという男が創り出したらしい」 「………アローン?」 リアナはその名に聞き覚えがあった。 かつて起きた、忌まわしき事件………。 「その人ってたしか………」 「ああ。あの『リッカー事件』の首謀者だ。アローンは生物兵器開発局の重鎮だった男だ。彼はSSウイルスを創り出し、様々な動物実験を行った。犬にウイルスを投与して村を襲わせたりとかな。『リッカー事件』もその1つだ。SSウイルスを改造したUウイルスも彼が創ったんだ。つまり、彼は『<SAF>隊員襲撃事件』にも間接的に関わっている事になるな」 「ふぅん。Uウイルスはあのアローンが創ったのね………」 リアナは納得したかのように頷くと、アーサーを見た。 「アローンの後ろには裏組織があったんですね?」 アーサーは若干微笑しながら頷いた。 「素晴らしい推理力だ、リアナ。その通り。いくら生物兵器開発局の支援があったとはいえ、アローンが1人でそれほどの功績を成し遂げたとは思えない。必ずバックアップがいただろうな。例えば………そう、そのウイルスを蔓延させ、その治療薬を売って大儲けしようとしている裏組織が………」 アローは電話で男の話を聞きながら、頭をフル稼働させていた。 この男は、おそらく、アローンをバックアップしていた裏組織の1人だ。 <パンドラ>という名も、諜報員からのレポートにあった。 ここは慎重に行動しなくては。 男の話は、だいたいこのような物だった。 アローンは<パンドラ>のバックアップを受け、UウイルスやSSウイルスを完成させた。 <パンドラ>はそれを実験した後、治療薬を開発しようとしていた。 目的はもちろん、ウイルスを蔓延させ、その治療薬を売りさばくためだ。 しかし、治療薬の完成の前に、アローンがリッカーに殺された。 しかも、Uウイルスが島から流出するという大惨事が発生し、南アメリカは封鎖された。 <パンドラ>は利益どころか、膨大な開発費による大損害を出した。 そこで、<パンドラ>はアローに接近し、フィアを一掃しようとしているのだ。 ―――フィアとの戦いで混乱した世界で、自らの勢力をのばすために。 アローの脳裏に、考えが浮かんだ。 ………もしかしたら、<パンドラ>を利用すれば、世界的な権力の座につけるかもしれない……。 『副大統領、我々に協力してくれれば、あなたの権力は保証しよう。フィア亡き世界の頂点に立てるのです………』 男の言葉に、アローは答えた。 「わかった。協力しよう」 2月1日正午、ハワイ基地会見ホール――― アローはゆっくりと演壇についた。 ホールを充分に満たす数の人々が、アローを見つめる。 テレビカメラが、静かにアローの顔を映した。 これから全世界に、アローが演説を行うのだ。 「…………皆さん」 アローはゆっくりと偉大な口調で話し出した。 「我々は未知の敵に襲われ、大敗を喫しました。人類の、地球の王たる誇りは、トカゲもどき達に踏みにじられたのです。大地は血を飲み、大空は悲鳴を飲みました。我々の愛する家族、愛する故郷、愛する地球は、今まさに、全てフィアに奪われようとしているのです」 聴衆達はぴくりとも動かずにアローを見つめている。 アローは怯む事無く続けた。 「そんな惨状に、私の母国のグラント大統領は我慢ができなかったのでしょう。彼のプライドが叫んだのです。フィアを討て、と」 アローは若干侮蔑を込めてそう言った。 「大統領は<マザー>を倒すため、サンフランシスコへ軍をさしむけました」 アローは言葉を止めて聴衆の興味を引き付け、しばらくすると静かに言った。 「アメリカ軍は全滅しました」 アローの言葉に、何人かが息を呑んだ。 「誇り高き兵士達は、悪しきフィアと雄々しく戦い、華麗に散っていきました。あの悪魔どもは、正義の軍を邪悪な力で撃退したのです!」 アローは、悪魔や邪悪という言葉を強調して言った。 「彼らの犠牲を無駄にしてはなりません!アメリカ軍単独では無理でした。しかし、我々には仲間がいます!」 アローは拳を握り、熱く叫んだ。 「我々は人類だ!白人でも黒人でもない!人類なのです!今こそ力を合わせ、サンフランシスコを攻め、人類の栄光の勝利を手に入れるのだ!栄えある人間達よ!同志よ!今こそ、今こそだ!世界中の人間の力をもって、フィアに決戦を挑むのだ!」 ホールは静寂に満ちた。 「………私からは以上だ」 アローは疲れたように言った。 「作戦に参加してくれる国は連絡をくれ。我々はなせばならぬのだ」 アローは注目を浴びたまま、静かに脇の椅子に座った。 1分……また1分……。 時間が静かに過ぎていく。 誰も微動だにしなかった。 ホール全体が緊張に満ちていた。 トゥルルルルルル 唐突に、場違いな音が響き渡った。 電話だ。 アローの秘書が、ゆっくりと受話器を手にとった。 「……はい、もしもし………」 次の瞬間、秘書の顔が明るくなった。 「アロー副大統領!ロシアが作戦参加を表明しました!」 さらに、別の電話が鳴り出した。 「副大統領!イランが作戦に参加するそうです!」 電話に出た者が叫ぶ。 後は怒涛のようだった。 次々に電話がかかり、部下達では手が回らない程だ。 聴衆達もその様子に感動し、次々に席を立ち、拍手をしだした。 泣いている者すらいるほどだ。 ここに、人類は結ばれたのだ。 「よし!見ていろ、フィア!我々人類の底力を見せてやる!」 アローが叫ぶ。 ホールにいた全員が歓声をあげた。 「で、作戦の概要なんだが―――」 クロウは仲間達を集めて言った。 「今作戦は、人類史上最大となる作戦だ。まず、ヨーロッパ軍は全ての戦力を結集し、ローマ、マルセイユ、ジブラルタルの奪回のために進軍する。南アフリカ共和国と周辺各国は、北アフリカへの電撃的進攻。さらに、デトロイトの残存アメリカ軍とカナダはニューヨークを攻撃。そして、中東勢はバグダッドを奪還するんだ。それも、全世界同時に」 「ふぃーっ!そりゃ大規模だ」 リッドが感心したかのように言う。 「俺のかっちょいい勇姿を見せなきゃな♪」 「だが、今言った4つは全て陽動だ」 クロウはリッドを完全に無視して言った。 「この作戦の中核は、サンフランシスコへの攻撃だ。サンフランシスコへの攻撃は、アジアに駐屯していたアメリカ軍、日本、中国、韓国、オーストラリア、そしてアジア各国によって行われる。サンフランシスコを攻め、そこにいるはずの<マザー>を倒すんだ。そうすれば、この戦いに勝てる。………あくまでもアーサーの説だがな」 「で、誰が<マザー>を倒すんだ?」 ビッドがぐうたらしながら訊く。 「全世界の特殊部隊がそれぞれヘリでタワーに侵入し、内部にいると思われる<マザー>を叩くんだ」 クロウが答える。 「オレ達もこの組の1つだ」 「ふーん……………って、どぅええええ!?」 スコットが変な叫び声をあげる。 「ちょ、俺ら死亡率一番高いじゃん!」 「だな」 「いち抜け「お前に拒否権はない」 ダッシュで逃げようとしたスコットの襟首を、クロウはむんずと掴んだ。 「で、この作戦はなんて名前なんだ?クロウ」 呆れたように彼らを見ていたローグが、クロウに訊いた。 クロウはローグを見て、静かに答えた。 「Operation:FALL<堕落作戦>」 2月15日午前3時、ハワイ基地の港――― ローグは装備を再点検した。 彼は、今まで持った事の無いような最高性能の武器を支給されていた。 それはもちろん、全世界の特殊部隊で結成されたチーム、<セイバー・チーム>の一員であるからだ。 セイバー・チームはそれぞれの特殊部隊ごとに分かれ、タワーに各所から侵入するのだ。 シュナイダーが緊張しているかのようにギクシャクと歩いているのが見えた。 ネイオが物資をヘリに積み込んでいる。 「ローグーーッ!」 突然、ローグを呼ぶ声がした。 リアナだ。 彼女は息を切らしながらローグに駆け寄ると、ハンドガンを取り出した。 「これ」 「? なんだよ、これ」 「わたしが考えた、<マザー>打倒の最後の希望よ。あなたが持ってて」 リアナはそう言って強引にローグにハンドガンを押し付けた。 「………特に変わってるようには見えないけど……」 ローグがハンドガンを手に取り、不審げにつぶやく。 「それでいいの。それと………」 突然、ローグの視界がリアナの顔で一杯になった。 彼の唇に温かい何かが押し付けられる。 それは、ほんのわずかな時間だった。 「…………お守り、ね」 ローグから顔を離したリアナが、わずかに頬を赤らめながらつぶやく。 ローグはただ口をパクパクさせる事しかできなかった。 「………さよならって、言わないから」 リアナはうつむいて言った。 「だから………絶対……!」 彼女の言葉が、最後には涙声になっているのに気づいたローグは、衝動的にリアナを抱きしめた。 「わかった。僕もさよならって言わない」 リアナはただ、うん、うんと頷き、必死に涙を拭った。 「じゃあ……」 「うん………」 2人は抱擁を解き、お互いに離れた。 ローグは無言でリアナに背中を向けると、ヘリに乗り込んだ。 「………青春だな」 クロウがつぶやいた。 「うん、青春青春!」 シュナイダーが続く。 「青春ですね」 「ああ、青春だ」 「青春ね」 「青春だねぇ」 「まさに青春」 「青春さんだな」 カトリーナ、リッド、ローラナ、ビッド、ネイオ、スコットが次々につぶやく。 ローグは顔を真っ赤にし、ヘリの隅っこにうずくまった。 唇には、まだ温かさが残っていた。 全員がヘリの中で出発の準備をしていた時、唐突に誰かが乗り込んできた。 「教授………!」 シュナイダーが驚いてつぶやく。 乗降口にいたのは、完全武装したアーサーだった。 「私も連れていってくれ」 アーサーは切願するように言った。 「Uウイルスが拡がったのは、私の責任だ。私自身も戦いたい」 「…………学者のぐだぐだした論議とは違うんだ。オレ達はお前を守ってやれるほど手が空いてるわけじゃない。帰れ」 クロウはにべもなく断った。 「もちろんだ。だから、私は自分で戦う。見捨てても構わん。ただ、戦いたいんだ!」 アーサーの瞳は、本気だった。 「…………はぁ」 クロウはため息をつくと、渋々頷いた。 「お前が死にそうでも、間違い無くオレは見捨てるからな。覚悟しとけよ」 アーサーは若干青い顔をして頷いた。 2月15日正午、ハワイ基地司令室――― 「………誇り高き人類の諸君。ついにこの時が来た」 アローは静かに演説していた。 静かな部屋に、威厳ある声が響く。 「今こそ、我々の力をフィアに見せつけるのだ。諸君は今から、過去にない程の、いや、これから先にもない程の作戦を戦ってもらう。諸君の勇気で守るのだ!家族を!故郷を!そして地球を!この世界を救うのは、誇り高き諸君達だ!人類に栄光あれ!」 『人類に栄光あれ!!』 聴衆達が叫ぶ。 『人類に栄光あれ!!』 戦艦のアメリカ人兵士達が叫んだ。 『人類に栄光あれ!』 砂漠で中東の民が叫んだ。 『人類に栄光あれ!』 都市で白人が叫んだ。 『人類に栄光あれ!』 草原で少年が叫んだ。 『人類に、栄光あれ!!!』 世界中の人類が、1つになった。 決戦の時は、来た。 |