双つの鏡 第125話
*幕末の千尋の幼少期の話です。まだ続きます*八重歯の男に気づかれぬよう、忍び足で正義と耀次郎は彼が嫌がる千尋を連れて女郎屋の女将の部屋に入るのを見た。「おやおや、今日は何の用だい?金を貸せとかいう話なら聞かないよ。」煙管の中に溜まっていた灰を火鉢の中へと捨てた老女は、そう言って八重歯の男を睨みつけていた。「女将さん、今日はそんな話をしに来たんじゃありませんや。今日は、女将さんが喜ぶ話を持って来たんでさぁ。」「あたしが喜ぶ話ねぇ・・ちょっと聞いてやろうじゃないか。」狐の様な目をした女将は、そう言うと八重歯の男の背に隠れている千尋の方を見た。「その子かい、あたしが喜ぶ話ってのは?」「へぇ。この子は異人とのあいの子ですが、まだ餓鬼でさぁ。女将さんにいっぺん見て貰いたくてこちらへ連れて来たんでぇ。」「そうかい。そこの子、こっちへ来な。なぁに、取って食いなしないから。」 猫なで声で女将がそう千尋に呼び掛けると、彼は小さな身体を震わせながら彼女の前に立った。「肌はきめ細かいし、髪の色も金色で縁起が良いし、何よりも瞳の色が綺麗だねぇ。今はまだ小さいけれど、成長したらすぐに花魁になれそうな顔をしているねぇ。」「そうでしょう?ただ、この子は男なんで、花魁にはなれやせんや。」「あらぁ、そりゃぁ残念だねぇ。でもまぁ、いい子を拾って来てくれたじゃないか。」「拾って来たんじゃありやせん、さるお武家の奥方様から頼まれたんでさぁ。うちに厄介な穀潰しが居るから、厄介払いのついでにこちらへ売ってくれないかってねえ。」「可哀想にねぇ。なぁに、心配することないさ。あんたの事は大事にしてやるよ。」女将はそう言って千尋に微笑むと、彼の頬を撫でた。 廊下で二人の話を聞いていた正義と耀次郎は、千尋を女郎屋に売ったのが自分達の母親である事を知り、驚きのあまりそこから動けなかった。「あんた達、そこで何してんだい?」「耀次郎、逃げるぞ!」 正義はそう叫ぶと乱暴に襖を開け放ち、千尋の手を掴んで耀次郎と共に女郎屋から飛び出した。「てめぇら、待ちやがれ!」「待てと言われて止まる馬鹿が居るもんか!」正義は自分達を追ってくる男と女将に向かって舌を突きだすと、そのまま千尋と耀次郎と共に自宅へと逃げ帰った。「若様、一体どうなさったのです?」「母上はどちらに?」「何ですか正義、耀次郎、そんなにたくさん汗を掻いて・・」 美祢がそう言って息子達を見ると、二人の背後に女郎屋へと売った筈の千尋の姿が見え、彼女は激しく狼狽した。「何故、お前がここに・・」「母上、何故千尋を女郎屋へと売ろうとしたのですか?そこまで、千尋の事が憎いのですか?」「お黙りなさい、大人の事情に子供が口を挟むものではありません!」「・・今の話はまことか、美祢?」 背後から夫の冷たい声が聞こえ、美祢が恐る恐る背後を振り向くと、そこには憤怒の表情を浮かべた夫が立っていた。「旦那様・・」「正義、千尋を連れて耀次郎と部屋へ行っていなさい。」「はい、わかりました。」 両親の間に流れる険悪な空気を敏感に感じ取った正義は、弟達と共に母屋の奥にある自分達の部屋へと向かった。「詳しい話を聞かせて貰おうか、美祢?何故千尋を女郎屋へと売ろうとした?」「その理由は旦那様が一番ご存知なのではなくて?」 美祢はその場で失神してしまいそうな恐怖に負けぬよう、そう声を張り上げると夫を睨みつけた。「旦那様が・・貴方が悪いのですわ、あんな女との間に出来た子供を我が家に引き取るから、わたしが惨めな思いをするのです!」この作品の目次はコチラです。にほんブログ村